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勇敢な解放思想で、経済発展に力を入れる——正定時代の習近平

2017-10-24      

 

 

 河北省正定県は北京の南240キロのところにある。1982年~85年、習近平は正定県の党委員会副書記と党委員会書記を歴任した。

 

食糧問題解決が急務

 正定県に着任後、習近平は執務室にただ座っていることはなく、人を訪ねて話を聞いたり、村に行き、家々を訪問して歩いたりしていた。こうした調査・研究により、高生産の旗印を高く掲げた40万の正定人民は毎年3.8万トンの食糧を納めねばならないが、多くの人は基本的な住宅・食糧問題すら解決できていないことを習近平は発見した。長期的な思想と体制の束縛により、正定はいまだ単一経営という出口のない道を堂々巡りしており、食糧の高生産を追求するあまり、綿花栽培、食用油生産、果物や木の実栽培などの副業をすべて犠牲にしてきた。食糧生産は1ムー(1ムーは15分の1ヘクタール)あたり500キロの生産効率があったが、買い上げ分の食糧を納めたのちには、自分で食べる分にも事欠くほどだった。

 1981年末、正定の農工業総生産額は2673万元、一人あたりの所得はわずか148元で、1日あたり4角であった。「食糧難の解決が急務」と習近平は考え、食糧買い上げの多さが正定の農業構造のバランスを崩していると考え、それをすぐに是正しようとした。彼は当時の正定県党委員会副書記であった呂玉蘭と共に北京に向かい、上級部門に正定の人民の生活状況と問題について実際に基づいた報告を行った。1982年初夏、国務院は調査チームを派遣し、省委員・地方委員とともに正定の状況について深い調査を行った後、正定の報告が真実であり、合理的な要求であると判断した。上級は正定の食糧買い取り任務を1.4万トン削減し、とりあえずの食糧不足問題は緩和された。

 人々はお腹いっぱい食べられるようになると、さらに豊かになろうとした。習近平の推進のもとで、県委員会と県政府は経済的に遅れ、生産条件が悪く生活レベルが低い、県都から比較的遠いところにある里双店公社で全面請負制の試行を行った。里双店のその年の農業生産額は倍増し、一人当たりの所得も400元にまで増加した。

 19831月、正定県で正式に全面請負制を各戸責任制の方法で行うことを発表し、土地をそれぞれの家に分け与え、請負後5年あるいはさらに長い期間変化させないこととした。経営管理のうえでは、統一に適したものを統一し、分割に適したものを分割する原則を堅持した。全面請負制は正定県で全面的に推進され、河北省での先鞭をつけた。正定の経済的飛躍の基礎はこうして固められたのである。



 

アオギリを植え、鳳凰を引き寄せる

 習近平は、「人材は経済発展の根本で、人材開発を戦略の重点として取り組むべきだ。人材なくして民は豊かになることができず、県は強くなることはできず、倍増目標は実現することができない」と語った。

 習近平の提案に基づき、1982年、正定の全知識人に対し三度にわたる住民調査を行い、各自の技術人材の登録を行って、それをとりまとめて、2300人余りの大卒・専門学校卒業生の専門、特長、職業履歴などの分類・総括を行い、正定史上初の「人材ノート」ができあがった。同年11月、正定県は「知識人の力を発揮させ、知識人の仕事と生活条件を改善することに関する規定」を公布し、各種人材に安心して仕事をし、力を発揮してもらうための安心材料とした。

 習近平は更に自ら全国の専門家や学者に100通余りの要請状を出し、正定経済顧問団を組織した。数学者の華羅庚、経済学者の于光遠、中国食品協会会長の杜子端、眼科の張暁楼、河北省科学院院長の鈞ら各分野の専門家53人がこれに応じた。顧問団メンバーは様々な方法で現代科学知識を伝授し、正定県の発展に援助を提供した。于光遠は何度も正定県に講義にやってきて、農村政策を指導し、永安公社に農村研究所を設立するのを助けた。鈞は正定県に化学工業プロジェクトをもたらした。張暁楼は1983年から正定で眼科普及と盲目予防知識の普及をはじめ、正定県の3112人を検査し、2139人の視力回復手術を行った。

 邱斌昌はもともと江蘇省無錫市におり、経営を理解し管理に長けた人物であった。習近平は無錫視察の時にこの人物を見い出して、自ら働きかけて彼を正定県に呼びよせ、当時50万元余りの赤字を出し倒産寸前だった県の油嘴給油ポンプ工場の責任者とした。彼は出勤二日目にすぐ工場内に積み上げられていた製品をすべて売り払い、一年も経たぬうちに工場の生産額は二倍となった。邱斌昌は正定で十数年、定年の年まで働き続けた。彼は感慨深げに「私が家庭も仕事も捨てたのは、聡明果敢な指導者を見い出したためで、一つの事業を担うためでもあり、こうして私の望みは実現しました」と語っている。

 

教育が強国づくりの根本

 習近平はとても教育を重視しており、彼は「教育は立国の本、富国強兵の道であり、各人に責任があり、必ずしっかりと行わねばならない」と語る。

 1982年、習近平が正定県にやって来て間もなく、全県の学校の校舎に対する調査を行い、200余りの村の小学校の計3590平方メートルが危険な校舎で、何万もの子どもがセメント板に腹ばいになり、土の台の上で授業を受けており、4万人は自ら椅子をもって学校へ行っていることを発見した。

 198310月、習近平は明確に、教育には改革が必要で、混乱のない改革が必要だと提起した。この原則に基づき、県は「農村教育改革に関する意見」などの文書を研究・制定し、民間教師給与体系を幹部給与体系に繰り入れ、以前に給料未払いであった教師の給与支払いにあて、民間の教師の待遇と教師に対する給与未払いの問題を比較的スムーズに解決し、多くの教師、特に民間教師がこれに大いに鼓舞された。県はさらに積極的な教師招聘制度、考査制度をとり、手抜きをする教師をなくし、全県2985人の専業教師の中で2833人が教職資格を獲得し、教師の向上心と責任感を増強した。

 1984年、正定県では187万元の資金を使い、1020軒の計1万5千平方メートル近い危険建築物の修理を行い、机といす3000セットを購入し、16の村の学校に教室棟を建て、多くの他の目的のために使われていた学校の運動場を学校へ戻した。

 習近平は正定で1000日余り、昼夜を問わず仕事をし、正定の発展に大きく貢献した。彼は感慨深げに、「正定は私の起点で、ここは私の第二の故郷と言えます」と語っている。

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