中国画報—ザンビアの中国人医師

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ザンビアの中国人医師

2018-09-20      秦斌=文・写真    

  • 中赞友谊医院的中国医生和工作人员在医院前合影.jpg

    中国ザンビア友誼医院の医師と職員たちの記念写真

  • 医院手术室,中方医生正在为当地人做手术。.jpg

    手術中

  • 中赞友谊医院,中国医生们在办公室里讨论手术方案.jpg

    会議中

  • 妇产科医生李海莲正在为赞比亚妇女塞日马做产后6周的母婴回访。.jpg

    患者のために診療を行っている李海蓮医師(右)

  • 检查完毕的赞比亚妇女走出医院.jpg

    検査を受けてから病院を出る現地の女性

  • 妇产科是每天最忙碌的科室.jpg

    産婦人科で診療を待っている女性

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 2018623日、30歳のザンビアの女性サイリマさんは、彼女の4番目の子どもを連れて中国ザンビア友誼病院に産後6週目の母子診察に行った。

 彼女の検査をした病院の産婦人科主任は、中国から来ている李海蓮医師である。2005年、李海蓮医師は夫のザンビア中国経済貿易協力区副総経理で中国ザンビア友誼病院の秦喜勝院長とともに中国ザンビア病院にやって来た。これ以前、ここには常駐の産婦人科医師はおらず、現地の産婦は医療条件が整わないために亡くなることもあった。李海蓮医師がこの病院にやって来たため、産婦人科は病院のトップクラスの診療科目となり、妊婦に厳しいエイズのスクーリニング検査をするだけでなく、エイズ患者に無料で治療を行い、エイズの感染確率を低め、さらに高危険妊婦の診療・治療を時を移さず行った。劉月琴さんは退職前には中色集団で仕事をしており、2015年に退職後にザンビアにやってきて、病院の管理責任者となった。彼女は「われわれの病院ではザンビアで唯一の産婦死亡率がゼロで新生児死亡率が最低の病院です」と誇らしげに語る。

 中国ザンビア病院はキトウェにあり、その前身は1930年代に建設が始まったンカナ鉱山病院である。経営管理が悪く数年で倒産し、2000年前後に中国有色集団中色非州鉱業公司によって買収され、名前を「中国ザンビア友誼医院」と改めた。200911月、病院はザンビア中国経済貿易協力区に分割移管され、経済協力区が管理・経営する医療機関となった。

 ザンビアの医療リソースは相対的に乏しく、中国ザンビア友誼医院は現地の医療保障能力をあげる意味からもとても重要な役割を果たしている。病院は中国のザンビア駐在企業の中国人従業員に医療サービスを行うだけでなく、ザンビア人従業員とその家族にも無料の医療を提供している。

 友誼医院の発展は、全医療グループの努力と切っても切れぬ関係がある。病院全体に中国人医師が7名おり、十数名の現地の医師と看護士と協力して仕事を行っている。大手術や診察はおもに中国人スタッフが行い、基本的にはそれぞれの科の仕事しているものの、人手が少ないためしばしば互いに協力するようになり、しだいにみんなが全科診察医となっていった。2010年にザンビアにやって来た粟志兵麻酔科主任兼院長助手は麻酔医師であるだけでなく、病室や薬局の管理も兼任している。

 ザンビアではエイズ患者が多く、病院は感染危険地域となっている。ある年、秦喜勝院長と李海蓮医師があるエイズ患者の手術を行ったとき、李医師がうっかり秦院長の手にあったはさみハサミを落としてしまい、そのハサミは靴を突き抜けて彼の足に刺さってしまった。幸い彼はエイズに感染しなかったけれども、これ以降、医師たちは手術室の前でゴム靴に履き替えるようになった。

 ザンビアにいる中国人にとって、中国ザンビア友誼医院は彼らが異郷にあって非常に頼りにしている場所である。2005519日、中国資本のある企業の中国人従業員が工事中うっかり頭を打ち、頭蓋内出血で気を失った。秦院長はすぐさま救急チームを組織した。手術後、秦院長は言葉が通じないせいで介護に支障が生じて病気の治癒が長引くことをおそれ、20日余りもの間、患者が危機を脱するまで自ら患者を介護した。

 現地の患者はしばしば医療費を支払うことができなかったが、秦院長はいつでもその支払いを減免してやり、あらゆるザンビアの医療機関のうち、中国ザンビア友誼医院の価格は最低レベルにある。「ザンビア人はまだ豊かでなく、われわれがここで病院をしているのは、利益のためではありません」と秦院長は語る。「中国企業へしっかりとサービスすると共になるべく現地人のために尽くし、異国での中国人・中国企業の名声を高めることのほうが、お金を稼ぐことよりもはるかに重要です」。

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ザンビアの中国人医師

2018-09-20      秦斌=文・写真      

  • 中赞友谊医院的中国医生和工作人员在医院前合影.jpg

    中国ザンビア友誼医院の医師と職員たちの記念写真

  • 医院手术室,中方医生正在为当地人做手术。.jpg

    手術中

  • 中赞友谊医院,中国医生们在办公室里讨论手术方案.jpg

    会議中

  • 妇产科医生李海莲正在为赞比亚妇女塞日马做产后6周的母婴回访。.jpg

    患者のために診療を行っている李海蓮医師(右)

  • 检查完毕的赞比亚妇女走出医院.jpg

    検査を受けてから病院を出る現地の女性

  • 妇产科是每天最忙碌的科室.jpg

    産婦人科で診療を待っている女性

 2018623日、30歳のザンビアの女性サイリマさんは、彼女の4番目の子どもを連れて中国ザンビア友誼病院に産後6週目の母子診察に行った。

 彼女の検査をした病院の産婦人科主任は、中国から来ている李海蓮医師である。2005年、李海蓮医師は夫のザンビア中国経済貿易協力区副総経理で中国ザンビア友誼病院の秦喜勝院長とともに中国ザンビア病院にやって来た。これ以前、ここには常駐の産婦人科医師はおらず、現地の産婦は医療条件が整わないために亡くなることもあった。李海蓮医師がこの病院にやって来たため、産婦人科は病院のトップクラスの診療科目となり、妊婦に厳しいエイズのスクーリニング検査をするだけでなく、エイズ患者に無料で治療を行い、エイズの感染確率を低め、さらに高危険妊婦の診療・治療を時を移さず行った。劉月琴さんは退職前には中色集団で仕事をしており、2015年に退職後にザンビアにやってきて、病院の管理責任者となった。彼女は「われわれの病院ではザンビアで唯一の産婦死亡率がゼロで新生児死亡率が最低の病院です」と誇らしげに語る。

 中国ザンビア病院はキトウェにあり、その前身は1930年代に建設が始まったンカナ鉱山病院である。経営管理が悪く数年で倒産し、2000年前後に中国有色集団中色非州鉱業公司によって買収され、名前を「中国ザンビア友誼医院」と改めた。200911月、病院はザンビア中国経済貿易協力区に分割移管され、経済協力区が管理・経営する医療機関となった。

 ザンビアの医療リソースは相対的に乏しく、中国ザンビア友誼医院は現地の医療保障能力をあげる意味からもとても重要な役割を果たしている。病院は中国のザンビア駐在企業の中国人従業員に医療サービスを行うだけでなく、ザンビア人従業員とその家族にも無料の医療を提供している。

 友誼医院の発展は、全医療グループの努力と切っても切れぬ関係がある。病院全体に中国人医師が7名おり、十数名の現地の医師と看護士と協力して仕事を行っている。大手術や診察はおもに中国人スタッフが行い、基本的にはそれぞれの科の仕事しているものの、人手が少ないためしばしば互いに協力するようになり、しだいにみんなが全科診察医となっていった。2010年にザンビアにやって来た粟志兵麻酔科主任兼院長助手は麻酔医師であるだけでなく、病室や薬局の管理も兼任している。

 ザンビアではエイズ患者が多く、病院は感染危険地域となっている。ある年、秦喜勝院長と李海蓮医師があるエイズ患者の手術を行ったとき、李医師がうっかり秦院長の手にあったはさみハサミを落としてしまい、そのハサミは靴を突き抜けて彼の足に刺さってしまった。幸い彼はエイズに感染しなかったけれども、これ以降、医師たちは手術室の前でゴム靴に履き替えるようになった。

 ザンビアにいる中国人にとって、中国ザンビア友誼医院は彼らが異郷にあって非常に頼りにしている場所である。2005519日、中国資本のある企業の中国人従業員が工事中うっかり頭を打ち、頭蓋内出血で気を失った。秦院長はすぐさま救急チームを組織した。手術後、秦院長は言葉が通じないせいで介護に支障が生じて病気の治癒が長引くことをおそれ、20日余りもの間、患者が危機を脱するまで自ら患者を介護した。

 現地の患者はしばしば医療費を支払うことができなかったが、秦院長はいつでもその支払いを減免してやり、あらゆるザンビアの医療機関のうち、中国ザンビア友誼医院の価格は最低レベルにある。「ザンビア人はまだ豊かでなく、われわれがここで病院をしているのは、利益のためではありません」と秦院長は語る。「中国企業へしっかりとサービスすると共になるべく現地人のために尽くし、異国での中国人・中国企業の名声を高めることのほうが、お金を稼ぐことよりもはるかに重要です」。


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