中国画報—建国70周年 1949~1959 国の基礎を築く

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建国70周年 1949~1959 国の基礎を築く

2019-04-01      編集 李卓希 写真 中国テーマフォトバンク    

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    1949年10月1日、中華人民共和国中央人民政府成立式典が北京天安門広場で盛大に開催され、中国の歴史はこの時から全く新しい章に入った。

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    浙江省嘉興県高照郷長橋村では、土地改革の後、貧しい農民であった高彩官は3ムーの農地を分け与えられ、さらに他の3軒の農家と共同で一頭の水牛を与えられた。

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    1951年1月、朝鮮・清川江以南で中国人民志願兵部隊と敵の背後で活躍していた朝鮮人民遊撃隊が合流に成功した。

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    1952年7月1日、30万の成都人民が成都北部郊外の駅前広場で成渝鉄道の全線開通を祝った。

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    1954年の国慶節に、パレードをしている人々が中華人民共和国憲法の模型を掲げて天安門をくぐっている。

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    1955年4月18~24日、インドネシアのバンドンでアジア-アフリカ会議が開かれ、周恩来総理が大会で発言を行った。

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    1956年7月14日、吉林省長春市の市民が街角に溢れ、中国が独自に製造した第一ロット国産自動車テスト製造の成功を祝った。

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    1957年10月15日、武漢長江大橋が正式に開通した。写真は開通式でセレモニー車が大橋を通行する光景。

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    1959年9月25日、中国石油探査隊が東北地方松遼盆地の陸上沈積層の中から工業性油流を発見した。ちょうど国慶10周年の時だったため、この油田は「大慶」と名付けられた。

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 1949年、新中国が成立し、中華民族は新たな歴史的段階に踏み出した。

 この70年を回顧すると、一代そしてまた一代の中国人が写真を用いてこの国のどの前進、どの変化をも記録している。中華人民共和国建国70周年にあたり、光と影とをくぐり抜け、新中国成立以来の象徴的なできごとを振り返り、国と家の映像による記憶を再整理してみたいと思う。

 

19491959 国の基礎を築く

 

 新中国建国当初、当時国家主席であった毛沢東は、「今われわれは何をつくれるのか?テーブル、いす、茶碗も茶壷もつくれ、食糧をつくれ、さらには小麦粉をつくることも、紙をつくることもできる。しかし、自動車、飛行機、戦車、トラクターはどれもつくることができない」と言った。このエピソードは、新中国の貧しく弱い現状と、経済基礎を固める切迫した必要を物語るものである。

 1949年から1959年まで、新中国は10年の回復期を経て、しだいに安定した局面をつくりあげてきた。第一次五カ年計画の期間中だけでも、中国人は自分たちで初めてトラックをつくりあげ、トランジスター、大型工作機械も、ジェット飛行機もつくり上げた。その後、さらに創造的に農業・手工業と資本主義商工業の社会主義的改造を完成させ、社会主義の基本制度を確立し、中国史上最も本質的で偉大なる社会変革が行われ、のちの発展と進歩のための基礎を固めたのである。

 

1949

 1949101日、中華人民共和国中央人民政府成立式典が北京天安門広場で盛大に開催され、中国の歴史はこの時から全く新しい章に入った。

 中華人民共和国の成立は中国有史以来最も偉大な出来事であり、20世紀の世界における最も偉大な出来事の一つでもあり、これは少数の搾取者が統治し、多くの労働者と帝国主義が中国の各民族人民を使役するという歴史を終わらせ、中国人民はこのときから国家の主人となり、中華民族の発展はこのときから新たな歴史的次元に入ったのである。

 

1950

 浙江省嘉興県高照郷長橋村では、土地改革の後、貧しい農民であった高彩官は3ムー(1ムーは約6.667アール)の農地を分け与えられ、さらに他の3軒の農家と共同で一頭の水牛を与えられた。

 1950630日、中央人民政府は「中華人民共和国土地改革法」を発表し、全国で地主階級の封建的搾取の土地所有制を取りやめ、農民の土地所有制を実行することを宣言した。1952年末までに全国の土地改革は基本的に終了し、3億人の土地のない、或いは少ない農民が約7億ムーの土地とその他生産リソースを分け与えられた。

 

1951

 1951年1月、朝鮮・清川江以南で中国人民志願兵部隊と敵の背後で活躍していた朝鮮人民遊撃隊が合流に成功した。

 1950625日、朝鮮内戦が勃発した。627日、米国政府は朝鮮に対する全面的な戦争を始めた。朝鮮に進攻した米軍は中国政府の幾度にもわたる警告を無視し、中朝国境の鴨緑江と図們江に迫り、中国東北部の国境付近の都市や村に爆撃を加え、中国の国家安全に直接的脅威を与えた。こうした状況のもとで、党中央は抗米援朝、国家防衛の重大な歴史的政策決定をおこなった。抗米援朝戦争の勝利は中国の新たに生まれたばかりの人民政権を固め、国内経済建設と社会改革のための相対的に安定した平和的環境を勝ち取ったのである。

 

1952

 195271日、30万の成都人民が成都北部郊外の駅前広場で成渝鉄道の全線開通を祝った。

 成渝鉄道は中国が独自で設計・施工し、完全に国産材料を用いて建設した鉄道で、中国鉄道史上の壮挙である。成渝鉄道の完成は極めて大きな経済的価値をもち、四川盆地の中心を横切って、西南地域の物資交流を力強く後押しすることとなった。

 

1953

 195310月、ソ連の援助により建設された鞍鋼シームレスパイプ工場が生産を開始し、ソ連の電気据え付け専門家が労働者たちと電気設備の検査を行っている。

 1953年、中国は国家建設の第一次五カ年計画(19531957)をスタートした。この期間中、ソ連の援助により軍事工業、化学工業、機械、エネルギー、医薬品などの156項目の重点工事プロジェクトが行われ、中国に比較的完全な基礎工業システムと国防工業システムが打ち立てられ、中国の工業化の基礎が固められた。

 

1954

 1954年の国慶節に、パレードをしている人々が中華人民共和国憲法の模型を掲げて天安門をくぐっている。

 新中国成立後、19499月に採択された「共同綱領」がずっと臨時憲法の役割を担ってきた。国民経済が次第に回復するにつれ、政治建設を強化する任務がすぐに議事日程にのぼった。1954915日、第一期全国人民代表大会第一回会議が北京で開かれ、大会で中華人民共和国憲法が採択され、新中国初の憲法となった。

 

1955

 195541824日、インドネシアのバンドンでアジア-アフリカ会議が開かれ、周恩来総理が大会で発言を行った。

 このバンドン会議の開催は、新中国の外交史上特殊な意義をもつものとなった。周恩来総理兼外交部長が中国代表団を率いて会議に参加し、「共通点を見い出し異なる点は残しておく」という方針を堅持し、会議の成功に重要な貢献をした。バンドン会議で提唱された「団結・友誼・協力」は今でも強い生命力をもち、アジア・アフリカ国家による国際関係理論における重要な創造となり、今日の世界で普遍的に認められ、従われている重要な指導原則となった。

 

1956

 1956714日、吉林省長春市の市民が街角に溢れ、中国が独自に製造した第一ロット国産自動車テスト製造の成功を祝った。第一ロットで生産された12台の解放ブランドのCA10型貨物トラックは、さらに1956年の国慶閲兵式に参加した。

 中国初の大型自動車製造工場として、長春第一汽車製造廠は中国自動車工業のゆりかごといわれ、その操業開始は中国自動車製造工業の新たなページを開いた。解放ブランドの自動車の発売により、中国の地方交通と道路輸送の立ち遅れた状況は変化し、地方交通と道路輸送の主力となっていった。

 

1957

 19571015日、武漢長江大橋が正式に開通した。写真は開通式でセレモニー車が大橋を通行する光景。

 武漢長江大橋は旧ソ連の援助による156項目の工事の一つであり、19559月に着工し、19571015日に正式に開通した。これは長江にかかる最初の大橋で、新中国成立後、初めて長江にかけられた公共・鉄道両用橋である。武漢長江大橋は長江によって隔てられた京漢鉄道と粤漢鉄道を繋ぎ、それにより完全な京広鉄道がつくられ、中国の南北経済発展促進に重要な役割を果たした。

 

1958

 195810月、河北省徐水県の錬鉄大運動。

 1958年5月に第8回中国共産党大会第二次会議で、全国人民に15年或いはもっと短い期間で主要工業生産の生産量においてイギリスを超えようと呼びかけた。会議の後、全国で「大躍進」運動が高まった。農業では、食糧の1ムーあたりの生産量はどんどん上がり、工業においては年間の鉄鋼生産量が1070万トンを実現し、全国の数千万人が「全民錬鉄大運動」をはじめ、「大躍進」は最高潮に達した。

 

1959

 1959925日、中国石油探査隊が東北地方松遼盆地の陸上沈積層の中から工業性油流を発見した。ちょうど国慶10周年の時だったため、この油田は「大慶」と名付けられた。

 大慶油田の発見は地質学界に長期的に存在した「中国貧油論」を打破するものとなった。1960年、苦しい状況をものともせず、国は人力・物資を集め、大慶油田の開発を行い、独立自主・自力更生の石油工業発展の歩みをスタートさせた。1963年までに中国では石油の自給が基本的に実現した。

 

資料:『中国共産党歴史』 

 

 

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    1949年10月1日、中華人民共和国中央人民政府成立式典が北京天安門広場で盛大に開催され、中国の歴史はこの時から全く新しい章に入った。

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    浙江省嘉興県高照郷長橋村では、土地改革の後、貧しい農民であった高彩官は3ムーの農地を分け与えられ、さらに他の3軒の農家と共同で一頭の水牛を与えられた。

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    1951年1月、朝鮮・清川江以南で中国人民志願兵部隊と敵の背後で活躍していた朝鮮人民遊撃隊が合流に成功した。

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    1952年7月1日、30万の成都人民が成都北部郊外の駅前広場で成渝鉄道の全線開通を祝った。

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    1954年の国慶節に、パレードをしている人々が中華人民共和国憲法の模型を掲げて天安門をくぐっている。

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    1955年4月18~24日、インドネシアのバンドンでアジア-アフリカ会議が開かれ、周恩来総理が大会で発言を行った。

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    1956年7月14日、吉林省長春市の市民が街角に溢れ、中国が独自に製造した第一ロット国産自動車テスト製造の成功を祝った。

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    1957年10月15日、武漢長江大橋が正式に開通した。写真は開通式でセレモニー車が大橋を通行する光景。

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    1959年9月25日、中国石油探査隊が東北地方松遼盆地の陸上沈積層の中から工業性油流を発見した。ちょうど国慶10周年の時だったため、この油田は「大慶」と名付けられた。

 1949年、新中国が成立し、中華民族は新たな歴史的段階に踏み出した。

 この70年を回顧すると、一代そしてまた一代の中国人が写真を用いてこの国のどの前進、どの変化をも記録している。中華人民共和国建国70周年にあたり、光と影とをくぐり抜け、新中国成立以来の象徴的なできごとを振り返り、国と家の映像による記憶を再整理してみたいと思う。

 

19491959 国の基礎を築く

 

 新中国建国当初、当時国家主席であった毛沢東は、「今われわれは何をつくれるのか?テーブル、いす、茶碗も茶壷もつくれ、食糧をつくれ、さらには小麦粉をつくることも、紙をつくることもできる。しかし、自動車、飛行機、戦車、トラクターはどれもつくることができない」と言った。このエピソードは、新中国の貧しく弱い現状と、経済基礎を固める切迫した必要を物語るものである。

 1949年から1959年まで、新中国は10年の回復期を経て、しだいに安定した局面をつくりあげてきた。第一次五カ年計画の期間中だけでも、中国人は自分たちで初めてトラックをつくりあげ、トランジスター、大型工作機械も、ジェット飛行機もつくり上げた。その後、さらに創造的に農業・手工業と資本主義商工業の社会主義的改造を完成させ、社会主義の基本制度を確立し、中国史上最も本質的で偉大なる社会変革が行われ、のちの発展と進歩のための基礎を固めたのである。

 

1949

 1949101日、中華人民共和国中央人民政府成立式典が北京天安門広場で盛大に開催され、中国の歴史はこの時から全く新しい章に入った。

 中華人民共和国の成立は中国有史以来最も偉大な出来事であり、20世紀の世界における最も偉大な出来事の一つでもあり、これは少数の搾取者が統治し、多くの労働者と帝国主義が中国の各民族人民を使役するという歴史を終わらせ、中国人民はこのときから国家の主人となり、中華民族の発展はこのときから新たな歴史的次元に入ったのである。

 

1950

 浙江省嘉興県高照郷長橋村では、土地改革の後、貧しい農民であった高彩官は3ムー(1ムーは約6.667アール)の農地を分け与えられ、さらに他の3軒の農家と共同で一頭の水牛を与えられた。

 1950630日、中央人民政府は「中華人民共和国土地改革法」を発表し、全国で地主階級の封建的搾取の土地所有制を取りやめ、農民の土地所有制を実行することを宣言した。1952年末までに全国の土地改革は基本的に終了し、3億人の土地のない、或いは少ない農民が約7億ムーの土地とその他生産リソースを分け与えられた。

 

1951

 1951年1月、朝鮮・清川江以南で中国人民志願兵部隊と敵の背後で活躍していた朝鮮人民遊撃隊が合流に成功した。

 1950625日、朝鮮内戦が勃発した。627日、米国政府は朝鮮に対する全面的な戦争を始めた。朝鮮に進攻した米軍は中国政府の幾度にもわたる警告を無視し、中朝国境の鴨緑江と図們江に迫り、中国東北部の国境付近の都市や村に爆撃を加え、中国の国家安全に直接的脅威を与えた。こうした状況のもとで、党中央は抗米援朝、国家防衛の重大な歴史的政策決定をおこなった。抗米援朝戦争の勝利は中国の新たに生まれたばかりの人民政権を固め、国内経済建設と社会改革のための相対的に安定した平和的環境を勝ち取ったのである。

 

1952

 195271日、30万の成都人民が成都北部郊外の駅前広場で成渝鉄道の全線開通を祝った。

 成渝鉄道は中国が独自で設計・施工し、完全に国産材料を用いて建設した鉄道で、中国鉄道史上の壮挙である。成渝鉄道の完成は極めて大きな経済的価値をもち、四川盆地の中心を横切って、西南地域の物資交流を力強く後押しすることとなった。

 

1953

 195310月、ソ連の援助により建設された鞍鋼シームレスパイプ工場が生産を開始し、ソ連の電気据え付け専門家が労働者たちと電気設備の検査を行っている。

 1953年、中国は国家建設の第一次五カ年計画(19531957)をスタートした。この期間中、ソ連の援助により軍事工業、化学工業、機械、エネルギー、医薬品などの156項目の重点工事プロジェクトが行われ、中国に比較的完全な基礎工業システムと国防工業システムが打ち立てられ、中国の工業化の基礎が固められた。

 

1954

 1954年の国慶節に、パレードをしている人々が中華人民共和国憲法の模型を掲げて天安門をくぐっている。

 新中国成立後、19499月に採択された「共同綱領」がずっと臨時憲法の役割を担ってきた。国民経済が次第に回復するにつれ、政治建設を強化する任務がすぐに議事日程にのぼった。1954915日、第一期全国人民代表大会第一回会議が北京で開かれ、大会で中華人民共和国憲法が採択され、新中国初の憲法となった。

 

1955

 195541824日、インドネシアのバンドンでアジア-アフリカ会議が開かれ、周恩来総理が大会で発言を行った。

 このバンドン会議の開催は、新中国の外交史上特殊な意義をもつものとなった。周恩来総理兼外交部長が中国代表団を率いて会議に参加し、「共通点を見い出し異なる点は残しておく」という方針を堅持し、会議の成功に重要な貢献をした。バンドン会議で提唱された「団結・友誼・協力」は今でも強い生命力をもち、アジア・アフリカ国家による国際関係理論における重要な創造となり、今日の世界で普遍的に認められ、従われている重要な指導原則となった。

 

1956

 1956714日、吉林省長春市の市民が街角に溢れ、中国が独自に製造した第一ロット国産自動車テスト製造の成功を祝った。第一ロットで生産された12台の解放ブランドのCA10型貨物トラックは、さらに1956年の国慶閲兵式に参加した。

 中国初の大型自動車製造工場として、長春第一汽車製造廠は中国自動車工業のゆりかごといわれ、その操業開始は中国自動車製造工業の新たなページを開いた。解放ブランドの自動車の発売により、中国の地方交通と道路輸送の立ち遅れた状況は変化し、地方交通と道路輸送の主力となっていった。

 

1957

 19571015日、武漢長江大橋が正式に開通した。写真は開通式でセレモニー車が大橋を通行する光景。

 武漢長江大橋は旧ソ連の援助による156項目の工事の一つであり、19559月に着工し、19571015日に正式に開通した。これは長江にかかる最初の大橋で、新中国成立後、初めて長江にかけられた公共・鉄道両用橋である。武漢長江大橋は長江によって隔てられた京漢鉄道と粤漢鉄道を繋ぎ、それにより完全な京広鉄道がつくられ、中国の南北経済発展促進に重要な役割を果たした。

 

1958

 195810月、河北省徐水県の錬鉄大運動。

 1958年5月に第8回中国共産党大会第二次会議で、全国人民に15年或いはもっと短い期間で主要工業生産の生産量においてイギリスを超えようと呼びかけた。会議の後、全国で「大躍進」運動が高まった。農業では、食糧の1ムーあたりの生産量はどんどん上がり、工業においては年間の鉄鋼生産量が1070万トンを実現し、全国の数千万人が「全民錬鉄大運動」をはじめ、「大躍進」は最高潮に達した。

 

1959

 1959925日、中国石油探査隊が東北地方松遼盆地の陸上沈積層の中から工業性油流を発見した。ちょうど国慶10周年の時だったため、この油田は「大慶」と名付けられた。

 大慶油田の発見は地質学界に長期的に存在した「中国貧油論」を打破するものとなった。1960年、苦しい状況をものともせず、国は人力・物資を集め、大慶油田の開発を行い、独立自主・自力更生の石油工業発展の歩みをスタートさせた。1963年までに中国では石油の自給が基本的に実現した。

 

資料:『中国共産党歴史』 

 

 


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