中国画報—蒋海燕:山水との対話が最良の生活の選択

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蒋海燕:山水との対話が最良の生活の選択

2018-05-28      口述=蒋海燕 原稿整理=譚星宇    

  • 三亚水稻国家公园常务副总经理蒋海燕_调整大小.jpg

    蒋海燕(三亜水稲国家公園常務副総経理)

  • DJI_0319_调整大小.jpg

    三亜水稲国家公園

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 海南に来る前、私は寧夏ラジオ・テレビ局で記者をやっており、のんびり過ごしていましたが、思考だけは活発で、海南が省となり、特区になると聞き、われわれ仲の良い友人たちと行こうという話になり、そこに向かいました。19891月、英語を専攻していた私は『海南日報』世界経済部に配置換えとなり、「世界人物」の欄を担当し、のちに『海外日報海外版』の立ち上げに参与しました。

 海南の改革開放による大きな変化を私はわが身で体験しました。当時の職称級別では私の内地での給与は100元ほどでしたが、海南に来た後は400元余りから始まって、うなぎ登りに上がってゆき1000元余りとなり、仕事への情熱も当然高まりました。海南で仕事をしていた歳月に、海南がゼロからすべてをもつにいたる過程を目撃することとなりました。当時、海南日報社は中国各地の人材を集めており、みんな「こうした生活こそ私が望んでいたものだ」と思ったものです。

 1993年、私は『海南日報』を離れ、中国海航集団(中国民航で初めての規範化改造を経た株式制企業)が創刊した『商旅報』に移り、副編集長となりました。1994年、私は仕事を辞めて米国に留学する子どもと共に米国にわたり、子どもが大学に入った後に海南に戻りましたが、ちょうど三亜南山景観区の宣伝が必要となっている時で、私は観光業界に移り、主に景観区の計画・宣伝を行う仕事につきました。

 海南の観光業は資源が豊富でしたが、新たな発展思考と理念を導入する必要がありました。三亜水稲国家公園はテーマがはっきりしており、特色があり、現在の中国の農村振興と農村観光を融合・発展させるという歴史的チャンスを掴み、農業資源と観光を融合させて、新たな観光業をつくりあげる必要がありました。私は農村観光との融合により農村を発展させるだけでなく、観光ブランドを打ち立てねばならないと考え、どのように農耕文化と科学普及教育、農業体験を観光商品にするか、どのように観光客に観光の過程で文化を心の中に植え付け、永続的なブランドをつくり上げるかということが、われわれの仕事における新たな要求とチャレンジになりました。

 現在海南に建設されている国際観光島は、事実上、海南(特に三亜)の観光景観区のハード施設の中でも国際的トップクラスにあるもので、そのために国際的な一流観光地と比較して、われわれはどの部分の建設を強化したらよいかよく考える必要がありました。ディズニーランドやハリウットなどハイテクノロジーテーマパークとは異なり、海南の最大の資源はその生態環境だと私は考えました。習近平主席はかつて「緑の水と青い山こそが金山銀山だ」と言いましたが、観光発展により生態系を破壊してはならず、生態を保護する基礎の上でのみ持続可能な発展はあり、そのためにわれわれも地域の環境保護をはかり、農業生態を保護したうえで建設する必要がありました。

 三亜水稲国家公園の理念は、「農地の景観化、景観の産業化、製品の体験化」で、観光客に観光の全過程で農地の美しさや中国伝統農業の美しさを味わってもらい、山を見て、田んぼに触り、花をなで、果実を摘んで、郷愁というものを覚えてもらうものです。われわれ景観区は開園したばかりで、やらねばならぬことはまだまだ多く、景観区建設、総合付属システム、サービス理念、スマート化システムなどの方面で常に完全なものにしてゆく必要があります。数十年の経験により、私は景観区の建設はとても大変な道のりであるけれども、社会や後の世代の人々の役に立つ道でもあるということを知っています。私は水稲国家公園が必ず農業と観光が融合した持続可能な発展の道を歩むことを確信しています。

 私はいろんな場所に行きましたが、やはり一番忘れ難いのは海南島の自然です。観光の仕事をしていますから、私には自然に親しみ、山や川と対話する機会があり、これが最も良い生活選択だと考えています。山や川との対話を始めた人は、その心情にも変化が生まれ、もはや生活のこまごまとしたことに焦燥することはなくなります。海南に30年暮らし、海南はすでに私の家で、家にいると私の心は静まり、すっきりとするのです。

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蒋海燕:山水との対話が最良の生活の選択

2018-05-28      口述=蒋海燕 原稿整理=譚星宇      

  • 三亚水稻国家公园常务副总经理蒋海燕_调整大小.jpg

    蒋海燕(三亜水稲国家公園常務副総経理)

  • DJI_0319_调整大小.jpg

    三亜水稲国家公園

 海南に来る前、私は寧夏ラジオ・テレビ局で記者をやっており、のんびり過ごしていましたが、思考だけは活発で、海南が省となり、特区になると聞き、われわれ仲の良い友人たちと行こうという話になり、そこに向かいました。19891月、英語を専攻していた私は『海南日報』世界経済部に配置換えとなり、「世界人物」の欄を担当し、のちに『海外日報海外版』の立ち上げに参与しました。

 海南の改革開放による大きな変化を私はわが身で体験しました。当時の職称級別では私の内地での給与は100元ほどでしたが、海南に来た後は400元余りから始まって、うなぎ登りに上がってゆき1000元余りとなり、仕事への情熱も当然高まりました。海南で仕事をしていた歳月に、海南がゼロからすべてをもつにいたる過程を目撃することとなりました。当時、海南日報社は中国各地の人材を集めており、みんな「こうした生活こそ私が望んでいたものだ」と思ったものです。

 1993年、私は『海南日報』を離れ、中国海航集団(中国民航で初めての規範化改造を経た株式制企業)が創刊した『商旅報』に移り、副編集長となりました。1994年、私は仕事を辞めて米国に留学する子どもと共に米国にわたり、子どもが大学に入った後に海南に戻りましたが、ちょうど三亜南山景観区の宣伝が必要となっている時で、私は観光業界に移り、主に景観区の計画・宣伝を行う仕事につきました。

 海南の観光業は資源が豊富でしたが、新たな発展思考と理念を導入する必要がありました。三亜水稲国家公園はテーマがはっきりしており、特色があり、現在の中国の農村振興と農村観光を融合・発展させるという歴史的チャンスを掴み、農業資源と観光を融合させて、新たな観光業をつくりあげる必要がありました。私は農村観光との融合により農村を発展させるだけでなく、観光ブランドを打ち立てねばならないと考え、どのように農耕文化と科学普及教育、農業体験を観光商品にするか、どのように観光客に観光の過程で文化を心の中に植え付け、永続的なブランドをつくり上げるかということが、われわれの仕事における新たな要求とチャレンジになりました。

 現在海南に建設されている国際観光島は、事実上、海南(特に三亜)の観光景観区のハード施設の中でも国際的トップクラスにあるもので、そのために国際的な一流観光地と比較して、われわれはどの部分の建設を強化したらよいかよく考える必要がありました。ディズニーランドやハリウットなどハイテクノロジーテーマパークとは異なり、海南の最大の資源はその生態環境だと私は考えました。習近平主席はかつて「緑の水と青い山こそが金山銀山だ」と言いましたが、観光発展により生態系を破壊してはならず、生態を保護する基礎の上でのみ持続可能な発展はあり、そのためにわれわれも地域の環境保護をはかり、農業生態を保護したうえで建設する必要がありました。

 三亜水稲国家公園の理念は、「農地の景観化、景観の産業化、製品の体験化」で、観光客に観光の全過程で農地の美しさや中国伝統農業の美しさを味わってもらい、山を見て、田んぼに触り、花をなで、果実を摘んで、郷愁というものを覚えてもらうものです。われわれ景観区は開園したばかりで、やらねばならぬことはまだまだ多く、景観区建設、総合付属システム、サービス理念、スマート化システムなどの方面で常に完全なものにしてゆく必要があります。数十年の経験により、私は景観区の建設はとても大変な道のりであるけれども、社会や後の世代の人々の役に立つ道でもあるということを知っています。私は水稲国家公園が必ず農業と観光が融合した持続可能な発展の道を歩むことを確信しています。

 私はいろんな場所に行きましたが、やはり一番忘れ難いのは海南島の自然です。観光の仕事をしていますから、私には自然に親しみ、山や川と対話する機会があり、これが最も良い生活選択だと考えています。山や川との対話を始めた人は、その心情にも変化が生まれ、もはや生活のこまごまとしたことに焦燥することはなくなります。海南に30年暮らし、海南はすでに私の家で、家にいると私の心は静まり、すっきりとするのです。


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