中国画報—袁熙坤と彼の「芸術外交」

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袁熙坤と彼の「芸術外交」

2018-06-01      文=李卓希    

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    袁熙坤

  • 袁熙坤怀着宗教般的虔诚塑造邓小平的塑像_调整大小.jpg

    鄧小平の塑像を創作する袁熙坤

  • 《葛培理》_调整大小.jpg

    「ビリー・グラハム」

  • 《山君造像》袁氏东方油画-袁熙坤作 尺寸70cm X 50cm_调整大小.jpg

    「山君造像」

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  袁熙坤は世界的に著名な画家・彫刻家で、中国全国政協委員、北京金台芸術館館長。今年74歳となる。

 

自然への愛

 袁熙坤は19448月に雲南の昆明で生まれ、父の袁暁岑は著名な中国画の大家で、母の時佩瑗は生物の先生をしていた。彼は小さい頃から家族の影響を受け、自然を愛し、動物好きだった。

 1962年、18歳の時、袁熙坤は昆明の芸術学院付属中学に入学した。あるとき、彼は文芸関係の仕事をしている人とともに奥山に分け入り、少数民族の居住地を訪れるチャンスに恵まれ、視界がぱっと開けたように感じ、自然と動物に対する愛が極まって、この時から彼は絵画の道を歩み始めた。

 1970年代、すでに青年となっていた袁熙坤は、中国科学院動物研究所が組織した視察チームと共にシーサンバンナに赴き、動物標本を描く仕事をした。その後西南の辺境地帯の密林で5年を過ごし、「ロビンソン・クルーソー」のような生活を送った。その時、彼は完全に動物画創作に没頭していた。

 父の袁暁岑と恩師の蒋兆和氏の教えが袁熙坤にとって伝統的で確かな中国画の創作基礎となっているとしたら、シーサンバンナの5年にもおよぶ写生訓練が彼の独特な個人的風格を築きあげることになったと言えるだろう。

 この時期のスケッチは彼の創作に極めて大きな推進作用があった。「来るものを拒まず、去るものを追わず」といった芸術創作における感情と衝撃はたった一度しか経験できず、彼の作品の中には瞬間的感情への尊重がみられ、彼のどの作品も伝統的な絵画には見られなかった生き生きとしたものが感じられる。

 

肖像の外交使者

 1980年代、中国ではしだいに改革開放がすすみ、芸術家たちにとって千載一遇のチャンスが訪れた。袁熙坤の創作の黄金期も改革開放の進展と完全に歩を一にしており、彼は頻繁に出国し、その独特な芸術技法と表現力で世界の視線を浴びた。

 19991月、袁熙坤は国連ビルで個展を開いた初めてのアジア系油絵画家となった。彼の多くの油絵作品は世界の著名な美術館に収蔵されている。ベルリン博物館館長は、「袁氏の偉大なところは、古代と現代の芸術を結び付けたところにあり、彼の絵画テーマと技巧は過去のものに根差しているが、彼の思想は未来に向かっている。彼は巧妙に中国画の精神と西洋の油絵材料を使って彼の技法に応用し、一つの画風を切り開き、完全に時間と空間の制約からのがれている」と語っている。

 1990年代から、袁熙坤は水墨画作品の創作をはじめ、元国連事務総長のアナン氏、元国際オリンピック委員会会長のサマランチ氏など百名余りの世界各地の指導者や政治要人の肖像画を描いた。外国メディアは、袁熙坤氏が地球村の各部落のリーダーを集合させたことは、絵自体の影響力をはるかに上回ることだと評価した。これにより、袁熙坤は海外の芸術界に「中国の肖像外交大使」と称賛された。

 袁熙坤は「私は芸術家が象牙の塔の中に逃げ込むことに反対で、限られた絵画という小さな世界の中で、あますところなく自己表現したいと思っています。しかし私は、芸術家は自分の芸術によって社会に恩返しをするべきだとも思っており、人々が最も注目する事業と結び付けることによって初めて、創作の世界はより広がるのです」と語る。

 

彫刻には翻訳は必要ない

 教養も経験も名声もあり、50を過ぎた人間は、総括することが必要だ。彫刻は袁熙坤の芸術の集大成ともいえる。「私の限られた才能、無限の才気により、私が尊敬する人の大きく高い碑をつくりたい」と、この分野に入る時に誓いを立てたという。

 2009年、中国とブルガリアの国交樹立60周年の際、「当時、ブルガリアの経済発展はとても困難で、私はブルガリア革命家のフリスト・ボテフの精神力によりブルガリア人民が共に困難を乗り切ることを鼓舞したいと考えました。そのため、ボテフの銅像をつくり、彼の故郷であるブルガリアのカロフェル市に贈りました。彫像には翻訳は必要ありません」。袁熙坤はこのことにより、ブルガリア文化庁から芸術賞を受賞した。

 2018221日、米国の著名な福音伝道師であるビリー・グラハム氏が亡くなった。224日、袁熙坤は『ビリー・グラハム牧師』と『種を撒く人ビリー・グラハム』を創作し、発表した。袁熙坤は「私とビリー・グラハム師との縁は10年前の四川大地震のときにさかのぼり、グラハム牧師はすぐに四川の被災地に救いの手を差し伸べてくれ、われわれは異なる方法で同じことをやったのです。私が人類文明の進歩を推し進めた人物の肖像をつくるのは、こうした極めて重い「精神の分銅」が記念され、伝承されることを望むためです」と語る。この二つの彫像は中国と米国に置かれ、二国の友誼のための文化的な懸け橋となっている。

 袁熙坤氏は彫像などにより、「大統領最高栄誉勲章」などの国際的な多くの表彰を受け、現在50人余りの伝説的人物彫像を完成させている。彼が創り上げた彫像は日本、ギリシア、ロシア、米国などの政府や関係国際機関、博物館によって収蔵されている。11人の有名人の彫像、3体の動物彫像が国としての贈りものとされ、外国の国家元首に贈られた。

2016年、国際天文連合会国際小惑星センターは、214883番の小惑星を袁熙坤と名付けた。彼は世界芸術界における名声と今後の計画について尋ねられると、謙遜して「作家のケルアックは永遠に若く、永遠に涙ぐむと言いました。私は永遠に巨匠ではなく、永遠に私の国を忘れません」と答えた。

 

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袁熙坤と彼の「芸術外交」

2018-06-01      文=李卓希      

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    袁熙坤

  • 袁熙坤怀着宗教般的虔诚塑造邓小平的塑像_调整大小.jpg

    鄧小平の塑像を創作する袁熙坤

  • 《葛培理》_调整大小.jpg

    「ビリー・グラハム」

  • 《山君造像》袁氏东方油画-袁熙坤作 尺寸70cm X 50cm_调整大小.jpg

    「山君造像」

  袁熙坤は世界的に著名な画家・彫刻家で、中国全国政協委員、北京金台芸術館館長。今年74歳となる。

 

自然への愛

 袁熙坤は19448月に雲南の昆明で生まれ、父の袁暁岑は著名な中国画の大家で、母の時佩瑗は生物の先生をしていた。彼は小さい頃から家族の影響を受け、自然を愛し、動物好きだった。

 1962年、18歳の時、袁熙坤は昆明の芸術学院付属中学に入学した。あるとき、彼は文芸関係の仕事をしている人とともに奥山に分け入り、少数民族の居住地を訪れるチャンスに恵まれ、視界がぱっと開けたように感じ、自然と動物に対する愛が極まって、この時から彼は絵画の道を歩み始めた。

 1970年代、すでに青年となっていた袁熙坤は、中国科学院動物研究所が組織した視察チームと共にシーサンバンナに赴き、動物標本を描く仕事をした。その後西南の辺境地帯の密林で5年を過ごし、「ロビンソン・クルーソー」のような生活を送った。その時、彼は完全に動物画創作に没頭していた。

 父の袁暁岑と恩師の蒋兆和氏の教えが袁熙坤にとって伝統的で確かな中国画の創作基礎となっているとしたら、シーサンバンナの5年にもおよぶ写生訓練が彼の独特な個人的風格を築きあげることになったと言えるだろう。

 この時期のスケッチは彼の創作に極めて大きな推進作用があった。「来るものを拒まず、去るものを追わず」といった芸術創作における感情と衝撃はたった一度しか経験できず、彼の作品の中には瞬間的感情への尊重がみられ、彼のどの作品も伝統的な絵画には見られなかった生き生きとしたものが感じられる。

 

肖像の外交使者

 1980年代、中国ではしだいに改革開放がすすみ、芸術家たちにとって千載一遇のチャンスが訪れた。袁熙坤の創作の黄金期も改革開放の進展と完全に歩を一にしており、彼は頻繁に出国し、その独特な芸術技法と表現力で世界の視線を浴びた。

 19991月、袁熙坤は国連ビルで個展を開いた初めてのアジア系油絵画家となった。彼の多くの油絵作品は世界の著名な美術館に収蔵されている。ベルリン博物館館長は、「袁氏の偉大なところは、古代と現代の芸術を結び付けたところにあり、彼の絵画テーマと技巧は過去のものに根差しているが、彼の思想は未来に向かっている。彼は巧妙に中国画の精神と西洋の油絵材料を使って彼の技法に応用し、一つの画風を切り開き、完全に時間と空間の制約からのがれている」と語っている。

 1990年代から、袁熙坤は水墨画作品の創作をはじめ、元国連事務総長のアナン氏、元国際オリンピック委員会会長のサマランチ氏など百名余りの世界各地の指導者や政治要人の肖像画を描いた。外国メディアは、袁熙坤氏が地球村の各部落のリーダーを集合させたことは、絵自体の影響力をはるかに上回ることだと評価した。これにより、袁熙坤は海外の芸術界に「中国の肖像外交大使」と称賛された。

 袁熙坤は「私は芸術家が象牙の塔の中に逃げ込むことに反対で、限られた絵画という小さな世界の中で、あますところなく自己表現したいと思っています。しかし私は、芸術家は自分の芸術によって社会に恩返しをするべきだとも思っており、人々が最も注目する事業と結び付けることによって初めて、創作の世界はより広がるのです」と語る。

 

彫刻には翻訳は必要ない

 教養も経験も名声もあり、50を過ぎた人間は、総括することが必要だ。彫刻は袁熙坤の芸術の集大成ともいえる。「私の限られた才能、無限の才気により、私が尊敬する人の大きく高い碑をつくりたい」と、この分野に入る時に誓いを立てたという。

 2009年、中国とブルガリアの国交樹立60周年の際、「当時、ブルガリアの経済発展はとても困難で、私はブルガリア革命家のフリスト・ボテフの精神力によりブルガリア人民が共に困難を乗り切ることを鼓舞したいと考えました。そのため、ボテフの銅像をつくり、彼の故郷であるブルガリアのカロフェル市に贈りました。彫像には翻訳は必要ありません」。袁熙坤はこのことにより、ブルガリア文化庁から芸術賞を受賞した。

 2018221日、米国の著名な福音伝道師であるビリー・グラハム氏が亡くなった。224日、袁熙坤は『ビリー・グラハム牧師』と『種を撒く人ビリー・グラハム』を創作し、発表した。袁熙坤は「私とビリー・グラハム師との縁は10年前の四川大地震のときにさかのぼり、グラハム牧師はすぐに四川の被災地に救いの手を差し伸べてくれ、われわれは異なる方法で同じことをやったのです。私が人類文明の進歩を推し進めた人物の肖像をつくるのは、こうした極めて重い「精神の分銅」が記念され、伝承されることを望むためです」と語る。この二つの彫像は中国と米国に置かれ、二国の友誼のための文化的な懸け橋となっている。

 袁熙坤氏は彫像などにより、「大統領最高栄誉勲章」などの国際的な多くの表彰を受け、現在50人余りの伝説的人物彫像を完成させている。彼が創り上げた彫像は日本、ギリシア、ロシア、米国などの政府や関係国際機関、博物館によって収蔵されている。11人の有名人の彫像、3体の動物彫像が国としての贈りものとされ、外国の国家元首に贈られた。

2016年、国際天文連合会国際小惑星センターは、214883番の小惑星を袁熙坤と名付けた。彼は世界芸術界における名声と今後の計画について尋ねられると、謙遜して「作家のケルアックは永遠に若く、永遠に涙ぐむと言いました。私は永遠に巨匠ではなく、永遠に私の国を忘れません」と答えた。

 


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