中国画報—陳廖宇:アニメの初心を守る

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陳廖宇:アニメの初心を守る

2018-08-10      文=本刊記者 莫倩    

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    陳廖宇 写真 人民画報社 秦斌

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    陳廖宇(真ん中)と同僚たち 写真 人民画報社 秦斌

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 アニメ映画監督の陳廖宇の作業場は北京市海淀区の民間住宅の2階分を占め、230人が働いている。『吃貨宇宙Foodiverse』の正式制作前のすべての創作とデザインの仕事はすべてここで完成した。

 

「一毛銭」の物語

 アニメ映画『吃貨宇宙Foodiverse』の中で、陳廖宇の作業場は、蒸しまんじゅうやギョーザ、油条(揚げパン)、月餅、パン、ハンバーガーなどにキャラクターを与えた。このアイデアは20年ほど前、友人とおしゃべりしているときに、食べ物をアニメキャラとすることについて検討したことに始まる。これが『吃貨宇宙』の原点となった。

 陳廖宇のこのユニークなアイデアは協力パートナーや投資者にも認められた。「協力パートナーや投資者との交渉はとても順調に終わり、彼らはみな協力あるいは投資を快く引き受けてくれました」と陳廖宇は語る。

 映画のテーマは、主役である「一毛銭」という名前の餃子が体験する「自己否定―自己喪失-自己認識-自己犠牲」という心理変化に置いた。「われわれは例えばいわゆるいい子の基準を『ほかの子』に設けるなど、相対的に統一された基準を他人に用いるのを好みます。この映画では、世界は多元的であり、統一された基準などはない、どの人もみな異なり、自己認識、自己受容を学ぶべきだということを伝えたいと思っています」と陳廖宇は語る。

 実際には、1970年代初めに生まれた陳廖宇は、自らの成長もまた自己認識・自己受容の過程であった。陳廖宇は「すきま世代」といわれる1970年代生まれである。1970年代生まれの人々は、中国の計画経済から市場経済へのモデルチェンジを完全に体験している。子ども時代は計画経済時代であり、集団主義教育を受け、価値観は相対的に一致していた。成長するにつれ、改革開放の波、社会主義市場経済発展の中で、多元的変化に直面することが求められた。理想主義的土壌に根を下ろしたものの、成長の中では多元化された現実に直面したのだ。ほとんどの70年代生まれはみなこうした分裂に直面している。そして芸術創作者は時代の変化に対し極めて敏感な認識を持っている。

 

一つの「証明」をしたいがため

 陳廖宇は「初心を忘れず」という言葉が好きだ。

 この作品のアイデアは20年前のアニメ映画にあり、2007年に初版の台本が完成し、正式にプロジェクトが発足した。2014年、このプロジェクトは実施段階に突入した。陳廖宇はプロジェクト実施の推進力を、国内アニメ映画の投資条件と市場環境が相対的に成熟したためだと考えている。

 21世紀に入ると、国は一連の漫画・アニメ産業の奨励・支持政策を発表した。それと同時に国民経済が快速発展を続け、3Dアニメのテクノロジーの発展により、国民の消費能力を刺激し、国民の消費手段も豊かになった。『吃貨宇宙』が正式に実施段階に入った2014年には計30本の国産アニメ映画が上映され、興行収入は11億元となった。

 外部条件がふさわしいものとなると同時に、北京電影学院アニメ学院で副教授をつとめる陳廖宇自身もまた、このような一種の壁を突き破る行為を必要としていた。「この時代の価値観のもとで、学院もまた市場に適応し、市場化された映画をつくる必要がありました。もちろんみんなが気に入ってくれれば最高です」。彼は多くの人が学院の先生らに対し、自己陶酔タイプであるという偏見を抱いているように感じた。彼は学院の人間として、市場に認められ、人々に好まれるアニメ映画を撮影することを望んでいた。「さらに言えば人々に好まれる映画を撮影することは、われわれの一種の社会責任でもあります」。

 1990年、中国美術学院付属中学を卒業した陳廖宇は北京電影学院アニメ専攻に入学した。「私は付属中時代、漫画が大好きでした。卒業前、偶然に北京電影学院の募集要項を目にしました。アニメ専攻には漫画創作の試験がありました。アニメに関してはあまり知らなかったものの、受験することに決めました」。1994年に卒業後、陳廖宇は学校にとどまり、国内アニメ分野で活躍することになった。

 

初めてのアニメ映画

 陳廖宇は国内アニメ映画の製作市場にはいまださまざまな問題があると率直に語る。「アニメ映画に比較すると、実写映画は映画撮影経験者を簡単に探し出すことができますが、アニメ映画は経験者がとても少ないのです。アニメ映画の前期・中期・後期作業で200人余りの製作グループが必要となりますが、その中でアニメ映画制作の経験がある人は十数人程度です」。こうした初期段階の状態は現在の中国アニメ映画創作者が必ず直面する問題だと陳廖宇は言う。

 しかし陳廖宇は、映画は解釈不要の芸術でもあると考えている。創作者は観衆に最もよい結果を見せるべきで、制作スタッフの苦労や困難を理解することは観衆の義務ではない。「こうした苦労や困難は、創作者が引き受けるもので、その苦しみを訴える必要はありません。作品が素晴らしければ観客は来るのであり、これは市場によって証明されるものです。たとえば『西遊記之大聖帰来(邦題は西遊記 ヒーロー・イズ・バック)』『大魚海棠』などのアニメ映画の国際的成功です。創作には最高のものが必要で、われわれはそうした方向に向けて努力しています」と陳廖宇は語る。

 創作はいつでも最終カットに至るまでの間、幾度も討論し、常に手直しを行うものだ。映画監督として、はっきりとした作品構想は鍵となる。陳廖宇は『吃貨宇宙』の創作過程で、自然に異なる意見にも遭遇したが、何か有益で、何を取り入れるべきかは、すべて作品創作の初心と関連してくる。「この映画の監督を完成させる過程で、私はすべての製品に対する責任を負う必要があります。グループとの共同作業のなかで、ずっとわれわれが認定した姿を受け継いできました。これがもしかしたら創作の初心というものかもしれません」と陳廖宇は語る。

 『吃貨宇宙』は不惑の年に足を踏み入れた陳廖宇が初めて制作したアニメ映画である。「私が230歳のときにはチャンスは少なく、市場も相対的に乏しく、この年で自分の初めてのアニメ映画をようやく創作することができました。私は教授であり、私の多くの学生はみなすでにアニメ映画を制作しています。そのため、私は学生たちとも同じ場所で競っています。若い創作者はいい時代に生まれたと思います。この時代ならみんながより多くのチャンスを得ることができますから」。

 

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陳廖宇:アニメの初心を守る

2018-08-10      文=本刊記者 莫倩      

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    陳廖宇 写真 人民画報社 秦斌

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    陳廖宇(真ん中)と同僚たち 写真 人民画報社 秦斌

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 アニメ映画監督の陳廖宇の作業場は北京市海淀区の民間住宅の2階分を占め、230人が働いている。『吃貨宇宙Foodiverse』の正式制作前のすべての創作とデザインの仕事はすべてここで完成した。

 

「一毛銭」の物語

 アニメ映画『吃貨宇宙Foodiverse』の中で、陳廖宇の作業場は、蒸しまんじゅうやギョーザ、油条(揚げパン)、月餅、パン、ハンバーガーなどにキャラクターを与えた。このアイデアは20年ほど前、友人とおしゃべりしているときに、食べ物をアニメキャラとすることについて検討したことに始まる。これが『吃貨宇宙』の原点となった。

 陳廖宇のこのユニークなアイデアは協力パートナーや投資者にも認められた。「協力パートナーや投資者との交渉はとても順調に終わり、彼らはみな協力あるいは投資を快く引き受けてくれました」と陳廖宇は語る。

 映画のテーマは、主役である「一毛銭」という名前の餃子が体験する「自己否定―自己喪失-自己認識-自己犠牲」という心理変化に置いた。「われわれは例えばいわゆるいい子の基準を『ほかの子』に設けるなど、相対的に統一された基準を他人に用いるのを好みます。この映画では、世界は多元的であり、統一された基準などはない、どの人もみな異なり、自己認識、自己受容を学ぶべきだということを伝えたいと思っています」と陳廖宇は語る。

 実際には、1970年代初めに生まれた陳廖宇は、自らの成長もまた自己認識・自己受容の過程であった。陳廖宇は「すきま世代」といわれる1970年代生まれである。1970年代生まれの人々は、中国の計画経済から市場経済へのモデルチェンジを完全に体験している。子ども時代は計画経済時代であり、集団主義教育を受け、価値観は相対的に一致していた。成長するにつれ、改革開放の波、社会主義市場経済発展の中で、多元的変化に直面することが求められた。理想主義的土壌に根を下ろしたものの、成長の中では多元化された現実に直面したのだ。ほとんどの70年代生まれはみなこうした分裂に直面している。そして芸術創作者は時代の変化に対し極めて敏感な認識を持っている。

 

一つの「証明」をしたいがため

 陳廖宇は「初心を忘れず」という言葉が好きだ。

 この作品のアイデアは20年前のアニメ映画にあり、2007年に初版の台本が完成し、正式にプロジェクトが発足した。2014年、このプロジェクトは実施段階に突入した。陳廖宇はプロジェクト実施の推進力を、国内アニメ映画の投資条件と市場環境が相対的に成熟したためだと考えている。

 21世紀に入ると、国は一連の漫画・アニメ産業の奨励・支持政策を発表した。それと同時に国民経済が快速発展を続け、3Dアニメのテクノロジーの発展により、国民の消費能力を刺激し、国民の消費手段も豊かになった。『吃貨宇宙』が正式に実施段階に入った2014年には計30本の国産アニメ映画が上映され、興行収入は11億元となった。

 外部条件がふさわしいものとなると同時に、北京電影学院アニメ学院で副教授をつとめる陳廖宇自身もまた、このような一種の壁を突き破る行為を必要としていた。「この時代の価値観のもとで、学院もまた市場に適応し、市場化された映画をつくる必要がありました。もちろんみんなが気に入ってくれれば最高です」。彼は多くの人が学院の先生らに対し、自己陶酔タイプであるという偏見を抱いているように感じた。彼は学院の人間として、市場に認められ、人々に好まれるアニメ映画を撮影することを望んでいた。「さらに言えば人々に好まれる映画を撮影することは、われわれの一種の社会責任でもあります」。

 1990年、中国美術学院付属中学を卒業した陳廖宇は北京電影学院アニメ専攻に入学した。「私は付属中時代、漫画が大好きでした。卒業前、偶然に北京電影学院の募集要項を目にしました。アニメ専攻には漫画創作の試験がありました。アニメに関してはあまり知らなかったものの、受験することに決めました」。1994年に卒業後、陳廖宇は学校にとどまり、国内アニメ分野で活躍することになった。

 

初めてのアニメ映画

 陳廖宇は国内アニメ映画の製作市場にはいまださまざまな問題があると率直に語る。「アニメ映画に比較すると、実写映画は映画撮影経験者を簡単に探し出すことができますが、アニメ映画は経験者がとても少ないのです。アニメ映画の前期・中期・後期作業で200人余りの製作グループが必要となりますが、その中でアニメ映画制作の経験がある人は十数人程度です」。こうした初期段階の状態は現在の中国アニメ映画創作者が必ず直面する問題だと陳廖宇は言う。

 しかし陳廖宇は、映画は解釈不要の芸術でもあると考えている。創作者は観衆に最もよい結果を見せるべきで、制作スタッフの苦労や困難を理解することは観衆の義務ではない。「こうした苦労や困難は、創作者が引き受けるもので、その苦しみを訴える必要はありません。作品が素晴らしければ観客は来るのであり、これは市場によって証明されるものです。たとえば『西遊記之大聖帰来(邦題は西遊記 ヒーロー・イズ・バック)』『大魚海棠』などのアニメ映画の国際的成功です。創作には最高のものが必要で、われわれはそうした方向に向けて努力しています」と陳廖宇は語る。

 創作はいつでも最終カットに至るまでの間、幾度も討論し、常に手直しを行うものだ。映画監督として、はっきりとした作品構想は鍵となる。陳廖宇は『吃貨宇宙』の創作過程で、自然に異なる意見にも遭遇したが、何か有益で、何を取り入れるべきかは、すべて作品創作の初心と関連してくる。「この映画の監督を完成させる過程で、私はすべての製品に対する責任を負う必要があります。グループとの共同作業のなかで、ずっとわれわれが認定した姿を受け継いできました。これがもしかしたら創作の初心というものかもしれません」と陳廖宇は語る。

 『吃貨宇宙』は不惑の年に足を踏み入れた陳廖宇が初めて制作したアニメ映画である。「私が230歳のときにはチャンスは少なく、市場も相対的に乏しく、この年で自分の初めてのアニメ映画をようやく創作することができました。私は教授であり、私の多くの学生はみなすでにアニメ映画を制作しています。そのため、私は学生たちとも同じ場所で競っています。若い創作者はいい時代に生まれたと思います。この時代ならみんながより多くのチャンスを得ることができますから」。

 


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