中国画報—文牧野——映画には胆力と識見、そして心情が必要

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文牧野——映画には胆力と識見、そして心情が必要

2018-09-03      汐落=文    

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    文牧野

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  多くの人が文牧野は生まれながらの映画監督だという。

75日、『我不是薬神(私は薬の神ではない)』が中国で封切られ、この監督をつとめた文牧野が初めて人々の視野に飛び込んで来た。『我不是薬』は彼が監督した初めての長編映画作品であるが、作品を見る限りにおいて、まったく新人には見えず、成熟し、流暢で、役づくりとストーリー進行が並行して行われ、楽しめる中にも深いメッセージが垣間見られる作品となっている。プロフィールを見る限り、確かに彼は数編の短編映画の監督をした経験しかないようだ。

 

胆力と識見、そして一種の心情

中国の著名監督である賈樟柯はかつて「われわれの生活するこの土地に対し、その穏やかでない激動と変化、さらには人々の生活における焦燥感と浮遊感は、一人の監督として、捉えて表現し、誠実に厳粛にこれと向き合う必要がある」と語った。

実際、現実的テーマはずっと文牧野が好んで取り上げてきたものだ。文牧野の学生時代の初期作品には、現実主義や人文的関心はみえず、映画は純粋な感動をもたらすものだった。著名な映画評論家の黄式憲先生はかつて彼の短編を評して、「このような作品を撮影するには胆力と識見、そして一種の心情が必要である」と言った。『我不是薬』の映画のプロデューサーである寧浩はかつて、「文牧野の短編映画を見て、彼はああした周辺にいる人物を描くのがうまく、人文的関心のある監督であるのを見て取り、彼に『我不是薬』の監督を頼むことにした」と語っている。

『我不是薬』は新聞に掲載された実話をもとにつくられたもので、主役の名前は陸勇といい、白血病を患い、スイスの薬剤ビーナットを用いて治療をする必要があった。商標保護のため、この薬はとても高価であり、一年で30万元ほどの薬の費用は彼にとって耐えがたいもので、後にインド製の偽薬があり、価格が前者の20分の一で、効果も同じであると聞き、自分で試した後、同病の友人にも勧めた。しかし、このインドの薬は国内で正式の許可がなく、法律的には偽薬でしかない――これが実話のストーリーであるが、映画の物語はここから始まる。

彼は、映画の台本の手入れや調整にまるまる2年かけた。文牧野は台本に手を入れていたこの2年間には多くの力の見せ場があり、特に商業性・娯楽性と現実主義の間で何度も台本に手を入れ、考え抜いたあげく、そのバランスを探り当てたという。「われわれが考えなければならないのは、どうやって現実のテーマで映画を撮影するかというのと同時に、さらに観客に苦々しさ、憂鬱さでなく、面白いと思ってもらえるかが大切で、そのために現実的テーマを商業化加工して、同時にその内容を壊さないようにするという試みを行いました」。

文牧野は多くの人にこの物語を見てもらい、物語の中のヒューマニズムの力を感じてほしいと思っている。「誠実な態度で温かみのある感動的な映画をつくり、映画を見終わったあと、希望に満ちて映画館を出て、生活の困難に直面してほしいというのが、私が映画を撮るときの原則なのです」。

 

ただ撮影し続ける

文牧野は今に至るまで、自分が初めて北京電影学院の門に立った時、感動で身が震えたことを覚えている。「私にとって、ここは聖地でした」。映画に対する愛は東北師範大学の在籍中に始まり、それは作品を撮影することで、尊厳を得ることができたからだ。

当時、中国国内の大学では「放送テレビ編集・監督」という専門を増設するのが流行しており、文牧野は東北師範大学のこの専門の第一回生となり、その年120人を募集したばかりで先輩はおらず、専門の先生もおらず、設備が少しあるだけであった。

大学の4年間、彼は5本の短編を撮影し、その後大学院受験ための4年間でさらに3本、北京電影学院研究院時代に2本を撮影した。「学部のときから、私の人生は台本を書き、作品をとり、台本を書いては作品を撮影するということを繰り返していました。今では長編の台本を書き、長編映画をとっています。時間はすべていっぱいで、すきまなくつながっています」。

創作し続けることも現在の文牧野を生み出す上でかなりの成果を上げている。

作品を1本撮影し終えるたびに、文牧野はネット上でさまざまな作品コンテストを探し、あらゆるコンテストに参加し、最後には彼の2本の短編作品が国際映画展で賞を受賞して国内の注目を集めた。「こうした映画展あるいは映画祭に行き、自分を見てもらうのが一番直接的な手段でした」。

こんなエピソードがある。当初、FIRST映画コンテストで、文牧野は自分の第一目標はオスカーだと言ったことがある。「今で言うなら、私が生きている間に、中国自身のオスカーができたらと思います」。中国は自らの中心的価値体系を輸出すべきで、それは中国の映画従事者の自分の民族や自分の国に対する一種の責任感であると思っています」。

今思えば、電影学院に入らなかったとしても、文牧野は自分はやはり作品を撮り続けているべきだと思っている。「ひたすら止めずに撮影し続ければいいのです。なぜならそれは自分自身の表現を鍛えることで、人と意思疎通することであり、風格を学ぶ最も重要な手段だからです」。

 

「はっきり」がキーワード

「はっきり」というのが、文牧野の監督における明確なキーワードであり、監督という目標を立てたときから作品の監督を始めるときまで、文牧野はどの一歩においても自分自身が何をしているのか、はっきりとわかっていた。

文牧野はどのシーンの撮影においても、どんな細部においても精密に設計し、「全体のリズムをあと半テンポだけ遅くして」「ぐったりした感じをもう少し誇張して」など、はっきりと俳優を指導することができる。俳優の譚卓は「この監督はどれだけしっかり準備してくるのだろうとわれわれは驚いたものです」と語る。

文牧野からすると、監督の過程で事細かく指導できるのは、すべて十分な準備をしているからだ。撮影開始前、俳優は少なくとも4回台本の合わせ読みを行い、撮影が始まる2週間前には俳優たちは組になって練習を始め、第一場面から最後の場面まですべてリハーサルを行う。

「私はすべてのものをすべて明確にする必要があり、これは映画撮影の正常な過程であると思います。現場に行ってからどうすればいいか分からないなんて変であり、あらゆる現場の問題は事前準備の不十分にあるのは確かです」。文牧野からすれば、現在の若い監督たちの目前の問題は、自分に対する理解が足りないことで、多くの若い監督は自分が得意なもの、あるいは行くべき路線に明確な判断がないと考えている。

「いかなる時代のいかなる人も、その時代の客観的問題に直面しますが、重要なのは自分がいかにしてこうした客観的要素に対応するかということで、対応の方法の第一歩とは、あなたがはっきりと自分はいったいどのような監督で、どういった道を行くのがふさわしいのかということを明確にすることで、第二歩はその方法を考えることであり、どうしたらいいかということをはっきりとさせた後には、道のりは比較的楽なものとなると私は信じています」。

 

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文牧野——映画には胆力と識見、そして心情が必要

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    文牧野

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  多くの人が文牧野は生まれながらの映画監督だという。

75日、『我不是薬神(私は薬の神ではない)』が中国で封切られ、この監督をつとめた文牧野が初めて人々の視野に飛び込んで来た。『我不是薬』は彼が監督した初めての長編映画作品であるが、作品を見る限りにおいて、まったく新人には見えず、成熟し、流暢で、役づくりとストーリー進行が並行して行われ、楽しめる中にも深いメッセージが垣間見られる作品となっている。プロフィールを見る限り、確かに彼は数編の短編映画の監督をした経験しかないようだ。

 

胆力と識見、そして一種の心情

中国の著名監督である賈樟柯はかつて「われわれの生活するこの土地に対し、その穏やかでない激動と変化、さらには人々の生活における焦燥感と浮遊感は、一人の監督として、捉えて表現し、誠実に厳粛にこれと向き合う必要がある」と語った。

実際、現実的テーマはずっと文牧野が好んで取り上げてきたものだ。文牧野の学生時代の初期作品には、現実主義や人文的関心はみえず、映画は純粋な感動をもたらすものだった。著名な映画評論家の黄式憲先生はかつて彼の短編を評して、「このような作品を撮影するには胆力と識見、そして一種の心情が必要である」と言った。『我不是薬』の映画のプロデューサーである寧浩はかつて、「文牧野の短編映画を見て、彼はああした周辺にいる人物を描くのがうまく、人文的関心のある監督であるのを見て取り、彼に『我不是薬』の監督を頼むことにした」と語っている。

『我不是薬』は新聞に掲載された実話をもとにつくられたもので、主役の名前は陸勇といい、白血病を患い、スイスの薬剤ビーナットを用いて治療をする必要があった。商標保護のため、この薬はとても高価であり、一年で30万元ほどの薬の費用は彼にとって耐えがたいもので、後にインド製の偽薬があり、価格が前者の20分の一で、効果も同じであると聞き、自分で試した後、同病の友人にも勧めた。しかし、このインドの薬は国内で正式の許可がなく、法律的には偽薬でしかない――これが実話のストーリーであるが、映画の物語はここから始まる。

彼は、映画の台本の手入れや調整にまるまる2年かけた。文牧野は台本に手を入れていたこの2年間には多くの力の見せ場があり、特に商業性・娯楽性と現実主義の間で何度も台本に手を入れ、考え抜いたあげく、そのバランスを探り当てたという。「われわれが考えなければならないのは、どうやって現実のテーマで映画を撮影するかというのと同時に、さらに観客に苦々しさ、憂鬱さでなく、面白いと思ってもらえるかが大切で、そのために現実的テーマを商業化加工して、同時にその内容を壊さないようにするという試みを行いました」。

文牧野は多くの人にこの物語を見てもらい、物語の中のヒューマニズムの力を感じてほしいと思っている。「誠実な態度で温かみのある感動的な映画をつくり、映画を見終わったあと、希望に満ちて映画館を出て、生活の困難に直面してほしいというのが、私が映画を撮るときの原則なのです」。

 

ただ撮影し続ける

文牧野は今に至るまで、自分が初めて北京電影学院の門に立った時、感動で身が震えたことを覚えている。「私にとって、ここは聖地でした」。映画に対する愛は東北師範大学の在籍中に始まり、それは作品を撮影することで、尊厳を得ることができたからだ。

当時、中国国内の大学では「放送テレビ編集・監督」という専門を増設するのが流行しており、文牧野は東北師範大学のこの専門の第一回生となり、その年120人を募集したばかりで先輩はおらず、専門の先生もおらず、設備が少しあるだけであった。

大学の4年間、彼は5本の短編を撮影し、その後大学院受験ための4年間でさらに3本、北京電影学院研究院時代に2本を撮影した。「学部のときから、私の人生は台本を書き、作品をとり、台本を書いては作品を撮影するということを繰り返していました。今では長編の台本を書き、長編映画をとっています。時間はすべていっぱいで、すきまなくつながっています」。

創作し続けることも現在の文牧野を生み出す上でかなりの成果を上げている。

作品を1本撮影し終えるたびに、文牧野はネット上でさまざまな作品コンテストを探し、あらゆるコンテストに参加し、最後には彼の2本の短編作品が国際映画展で賞を受賞して国内の注目を集めた。「こうした映画展あるいは映画祭に行き、自分を見てもらうのが一番直接的な手段でした」。

こんなエピソードがある。当初、FIRST映画コンテストで、文牧野は自分の第一目標はオスカーだと言ったことがある。「今で言うなら、私が生きている間に、中国自身のオスカーができたらと思います」。中国は自らの中心的価値体系を輸出すべきで、それは中国の映画従事者の自分の民族や自分の国に対する一種の責任感であると思っています」。

今思えば、電影学院に入らなかったとしても、文牧野は自分はやはり作品を撮り続けているべきだと思っている。「ひたすら止めずに撮影し続ければいいのです。なぜならそれは自分自身の表現を鍛えることで、人と意思疎通することであり、風格を学ぶ最も重要な手段だからです」。

 

「はっきり」がキーワード

「はっきり」というのが、文牧野の監督における明確なキーワードであり、監督という目標を立てたときから作品の監督を始めるときまで、文牧野はどの一歩においても自分自身が何をしているのか、はっきりとわかっていた。

文牧野はどのシーンの撮影においても、どんな細部においても精密に設計し、「全体のリズムをあと半テンポだけ遅くして」「ぐったりした感じをもう少し誇張して」など、はっきりと俳優を指導することができる。俳優の譚卓は「この監督はどれだけしっかり準備してくるのだろうとわれわれは驚いたものです」と語る。

文牧野からすると、監督の過程で事細かく指導できるのは、すべて十分な準備をしているからだ。撮影開始前、俳優は少なくとも4回台本の合わせ読みを行い、撮影が始まる2週間前には俳優たちは組になって練習を始め、第一場面から最後の場面まですべてリハーサルを行う。

「私はすべてのものをすべて明確にする必要があり、これは映画撮影の正常な過程であると思います。現場に行ってからどうすればいいか分からないなんて変であり、あらゆる現場の問題は事前準備の不十分にあるのは確かです」。文牧野からすれば、現在の若い監督たちの目前の問題は、自分に対する理解が足りないことで、多くの若い監督は自分が得意なもの、あるいは行くべき路線に明確な判断がないと考えている。

「いかなる時代のいかなる人も、その時代の客観的問題に直面しますが、重要なのは自分がいかにしてこうした客観的要素に対応するかということで、対応の方法の第一歩とは、あなたがはっきりと自分はいったいどのような監督で、どういった道を行くのがふさわしいのかということを明確にすることで、第二歩はその方法を考えることであり、どうしたらいいかということをはっきりとさせた後には、道のりは比較的楽なものとなると私は信じています」。

 


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