中国画報—四聯美容室

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四聯美容室

2018-08-01      文=本誌記者 楊雲倩    

  • 四联美发总店位于北京王府井大街.jpg

    北京王府井大街にある四联美髪総店

  • 20世纪70年代末.jpg

    1970年代の四聯美容室

  • 20世纪80年代,位于金鱼胡同的四联美发厅.jpg

    1980年代の四聯美容室

  • 1999年,四联美发迁入王府井大街.jpg

    1990年代の四聯美容室

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 北京の著名なショッピングストリートである王府井大街に、凝った門構えをもつ店があり、入口に青と白と赤の島のサインポールがあることから、理髪店であると知れる。これは「中華老字号(中国老舗商店)」の四聯美髪美容有限責任公司である。

 

一貫してきた「こだわり」

 午前9時、にぎやかな王府井大街もまだ一日の賑わいを迎えていない時刻に、四聯の最初の顧客はすでに店に入って待機していた。「開店は9時ですが、9時前にいらっしゃるお客様も多く、美容師の準備が整えば時間前に店を開けます」と四聯美髪美容有限責任公司の王然副社長は紹介する。四聯は成立から今日まで、ずっとこのような習慣を持ち続けてきた。旧暦2月2日のような祭日には、往々にして早朝5時過ぎにはもう人が並び、美容師は6時半には準備につき、7時になる前には開店する。

 四聯美髪は北京に王府井・東四・鼓楼・北新橋の4店の直営店をもつ。4階建ての王府井本店は、1階が女性専用で、男性専用サービスと貴賓室は2階にあり、3階はニューコンセプトサロンとなっている。男女別の美容サービスは四聯の特色の一つで、店に予約制はなく、番号札での順番待ちとなる。

 四聯の優れた技術、サービス、製品という伝統は、至るところに見られるこだわりによって知ることができる。

 四聯では、男性顧客の理髪・髭剃りに8枚のタオルが使われる。入って来て顔をぬぐうのに1枚、シャンプーをするのに2枚、髭剃りに5枚で、すべて使い終わったら専用のカゴに入れ、翌日に専門家が専門設備で洗い、消毒して、干す。

 室内装飾の豪華さからみると、四聯の理髪台はその他の流行っている美容室には及ばないが、日本から輸入した理髪用の椅子、輸入シャンプーやトリートメント、オーダーメイドの理髪器具などが使われ、さらに理髪ハサミの消毒用のアルコールランプ、独立したシャンプー台を見ることができる。

 サービスと細部の把握以外にも、四聯は安定した技術をもつと言われている。

 長期的な経営実践により、四聯は中国人の顔の形や髪質の特徴に基づいて総括した美容伝統技術をもち、それを北京市東城区の無形文化遺産として申請した。

 顔そりは古い技術であり、比較的強い腕力があってようやく行うことができる。「顔そりだけでなく、ハサミ、クシ、かみそりすべてに腕力がいります。男性美容は時に一ミリの差だけで違いがわかるのです」と58歳の無形文化遺産技術の伝承者である耿進興さんは語る。彼は現在、男性美容師の訓練と指導にあたっており、彼が育てた弟子はほとんどが店の屋台骨となって活躍している。

 耿進興さんは見習いだった頃、1本の箸の片側にレンガをくくりつけ、手でもう一方を握り、毎日手のバランス力と腕力を鍛えたことを覚えている。「まず手の機敏さ、次に正確さ、そして力を均等に使うことを覚える必要があります。これらの基本技能がなければ客の理髪は出来ません」と彼は語る。

 

60年間の美の変遷

 1956年、上海のサービス業に北京を支援させるため、周恩来総理が自ら上海の一部のレストラン、アパレル、クリーニング、写真、美容などのサービス業の老舗を北京に続々と移す手配をした。

 上海の美容室であった華新、紫羅蘭、雲裳、湘銘の4つの名店の108人の美容技師が汽車に水をわかす鍋や米国から輸入した理髪用椅子、理髪用具一式をのせて北京にやってきて、王府井の東安市場北門にある金魚胡同に「四聯(4つの店の連合の意味)」理髪店を開いた。

 北京にやってきたのは、先進的な理髪設備と成熟した技術と快適なサービスだけでなく、同時に南方のキメ細かさ、流行、優雅さ、さらには北方の素朴さ、大らかさ、豪快さが結びついて、四聯はすぐに首都の各界人士の人気店となった。

 文革の時期には四聯は「新風理髪館」と改名したが、19789月末に「四聯理髪館」が店構えも新たに王府井金魚胡同西口で再度営業を開始し、拡大後の使用面積は720平方キロメートルで、2階建てのビルとなり、整眉、メイク、ウィッグ制作などの美容サービスも加えられた。当時、四聯の入り口に行列してパーマをかけようとしていた人々の様子が外国人記者によって撮影され、その価格表が日本のメディアに報道されたこともあった。

 1984年、四聯は日本から美容設備一式を輸入し、「四聯美髪庁」と名を改めた。

 長年、四聯は国内の人々の髪形や美の変遷を見届けて来た。198090年代、飛行機頭といわれたヘアスタイルとラッパズボンが流行した。1990年代末にはパーマが大流行した。最も重要なのは色の変化で、20世紀末には黒が流行し、濃い茶色が流行したこともあり、のちにしだいにワインレッドに変わり、一部でヘアカラーも行われるようになった。

 21世紀に入ると、技術の進歩により、人々の思想観念や神秘感も変化を遂げ、もはや盲目的に流行を追うことはなくなり、個性を追い求めるようになった。今では女性の髪形はますます個性化している。

 

四聯は大きな家

 62年が過ぎ、南から来た美容師たちもすっかり北京っ子になった。

 四聯で41年働いている耿さんは2300名の顧客をもち、三代にわたって彼を見込んで通い続ける家族もいる。耿さんからみれば、みんな数多い美容室の中から四聯を選ぶのは、四聯のサービスの質、衛生条件、理髪技術と切っても切れない関係がある。

 貴賓室の隣にいる帰秀鳳さんも四聯に長く務めるベテランで、女性理容を担当している。1980年に四聯に入り、北京市労働模範などの多くの名誉称号を受け、国家級高級美容師である。

 すでに退職して8年がたつが、企業や顧客に呼ばれ、彼女はまだ週に4回勤務しており、順番待ちの客が長い列となっている。ちょうど順番待ちをしていた何さんは北京っ子で、いつも同僚や友人を連れてきては、帰さんに理髪をお願いしているという。普段香港に住む李さんは、あるとき王府井をぶらぶらしていて、偶然四聯に入り、帰さんに理髪してもらった。それから10数年ずっと毎年北京に来て、帰さんに理髪をお願いしているという。

 今年81歳になる呉永亮さんは61年前に上海から北京にやってきた美容師のうち最若手の一人で、開店翌日には梅蘭芳夫人の福芝芳さんの理髪を手掛けたという。彼は昨年10月までずっと毎週2回勤務し続けていた。

 

時代と共に進む

 北京のサービス業の老舗として、中国でかつて流行した髪形はみな四聯で生まれたものだった。60年がたち、美容室は至るところにできたが、四聯の地位は依然として堅固たるもので、それは伝統技術を守って来た美容店であるからのみならず、顧客が安心して快適にサービスを受けることができる美容室であり、かつ革新し続けることを止めない美容室であるからである。

 四聯の顧客は中高年が多いとはいえ、彼らも若帰り、時流化の試みを怠ったりしない。三階にあるニューコンセプトサロンは10数年続いており、多くの若者の人気を得ていて、技術総監督の王戦勝が勤務している日はいつでも長い行列ができる。そのほか、四聯の若い美容師たちの育成も担っている。四聯が無形文化遺産登録を申請したのも、こうした伝統技術を保護し、技術を流失させないためである。ドライヤーとブラシだけで、ドライヤーの風量や温度を調節し、さらに櫛の角度と方向をこまめに調整しながら、あっという間におしゃれなカールをつくり上げる。時代の発展とともにこうした技術は失われつつあり、四聯以外にこうした技術が可能な店はもはや少ない。

 現在、四聯は全国唯一の老舗国有美容企業である。国営という強みは安定性にあるのだけでなく、老舗の温かみのある雰囲気にもある。長年、四聯は師匠が弟子に一対一で教えてゆくという伝統を守っている。一般の理髪店では見習いは3、4カ月で独り立ちして髪を切り始めるが、四聯では2年以上の訓練が必要とされている。

 四聯は王府井大街で、首都北京の顔となっているのだ。

(未署名の写真は四聯美髪美容有限責任公司の提供によるもの)

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四聯美容室

2018-08-01      文=本誌記者 楊雲倩      

  • 四联美发总店位于北京王府井大街.jpg

    北京王府井大街にある四联美髪総店

  • 20世纪70年代末.jpg

    1970年代の四聯美容室

  • 20世纪80年代,位于金鱼胡同的四联美发厅.jpg

    1980年代の四聯美容室

  • 1999年,四联美发迁入王府井大街.jpg

    1990年代の四聯美容室

 北京の著名なショッピングストリートである王府井大街に、凝った門構えをもつ店があり、入口に青と白と赤の島のサインポールがあることから、理髪店であると知れる。これは「中華老字号(中国老舗商店)」の四聯美髪美容有限責任公司である。

 

一貫してきた「こだわり」

 午前9時、にぎやかな王府井大街もまだ一日の賑わいを迎えていない時刻に、四聯の最初の顧客はすでに店に入って待機していた。「開店は9時ですが、9時前にいらっしゃるお客様も多く、美容師の準備が整えば時間前に店を開けます」と四聯美髪美容有限責任公司の王然副社長は紹介する。四聯は成立から今日まで、ずっとこのような習慣を持ち続けてきた。旧暦2月2日のような祭日には、往々にして早朝5時過ぎにはもう人が並び、美容師は6時半には準備につき、7時になる前には開店する。

 四聯美髪は北京に王府井・東四・鼓楼・北新橋の4店の直営店をもつ。4階建ての王府井本店は、1階が女性専用で、男性専用サービスと貴賓室は2階にあり、3階はニューコンセプトサロンとなっている。男女別の美容サービスは四聯の特色の一つで、店に予約制はなく、番号札での順番待ちとなる。

 四聯の優れた技術、サービス、製品という伝統は、至るところに見られるこだわりによって知ることができる。

 四聯では、男性顧客の理髪・髭剃りに8枚のタオルが使われる。入って来て顔をぬぐうのに1枚、シャンプーをするのに2枚、髭剃りに5枚で、すべて使い終わったら専用のカゴに入れ、翌日に専門家が専門設備で洗い、消毒して、干す。

 室内装飾の豪華さからみると、四聯の理髪台はその他の流行っている美容室には及ばないが、日本から輸入した理髪用の椅子、輸入シャンプーやトリートメント、オーダーメイドの理髪器具などが使われ、さらに理髪ハサミの消毒用のアルコールランプ、独立したシャンプー台を見ることができる。

 サービスと細部の把握以外にも、四聯は安定した技術をもつと言われている。

 長期的な経営実践により、四聯は中国人の顔の形や髪質の特徴に基づいて総括した美容伝統技術をもち、それを北京市東城区の無形文化遺産として申請した。

 顔そりは古い技術であり、比較的強い腕力があってようやく行うことができる。「顔そりだけでなく、ハサミ、クシ、かみそりすべてに腕力がいります。男性美容は時に一ミリの差だけで違いがわかるのです」と58歳の無形文化遺産技術の伝承者である耿進興さんは語る。彼は現在、男性美容師の訓練と指導にあたっており、彼が育てた弟子はほとんどが店の屋台骨となって活躍している。

 耿進興さんは見習いだった頃、1本の箸の片側にレンガをくくりつけ、手でもう一方を握り、毎日手のバランス力と腕力を鍛えたことを覚えている。「まず手の機敏さ、次に正確さ、そして力を均等に使うことを覚える必要があります。これらの基本技能がなければ客の理髪は出来ません」と彼は語る。

 

60年間の美の変遷

 1956年、上海のサービス業に北京を支援させるため、周恩来総理が自ら上海の一部のレストラン、アパレル、クリーニング、写真、美容などのサービス業の老舗を北京に続々と移す手配をした。

 上海の美容室であった華新、紫羅蘭、雲裳、湘銘の4つの名店の108人の美容技師が汽車に水をわかす鍋や米国から輸入した理髪用椅子、理髪用具一式をのせて北京にやってきて、王府井の東安市場北門にある金魚胡同に「四聯(4つの店の連合の意味)」理髪店を開いた。

 北京にやってきたのは、先進的な理髪設備と成熟した技術と快適なサービスだけでなく、同時に南方のキメ細かさ、流行、優雅さ、さらには北方の素朴さ、大らかさ、豪快さが結びついて、四聯はすぐに首都の各界人士の人気店となった。

 文革の時期には四聯は「新風理髪館」と改名したが、19789月末に「四聯理髪館」が店構えも新たに王府井金魚胡同西口で再度営業を開始し、拡大後の使用面積は720平方キロメートルで、2階建てのビルとなり、整眉、メイク、ウィッグ制作などの美容サービスも加えられた。当時、四聯の入り口に行列してパーマをかけようとしていた人々の様子が外国人記者によって撮影され、その価格表が日本のメディアに報道されたこともあった。

 1984年、四聯は日本から美容設備一式を輸入し、「四聯美髪庁」と名を改めた。

 長年、四聯は国内の人々の髪形や美の変遷を見届けて来た。198090年代、飛行機頭といわれたヘアスタイルとラッパズボンが流行した。1990年代末にはパーマが大流行した。最も重要なのは色の変化で、20世紀末には黒が流行し、濃い茶色が流行したこともあり、のちにしだいにワインレッドに変わり、一部でヘアカラーも行われるようになった。

 21世紀に入ると、技術の進歩により、人々の思想観念や神秘感も変化を遂げ、もはや盲目的に流行を追うことはなくなり、個性を追い求めるようになった。今では女性の髪形はますます個性化している。

 

四聯は大きな家

 62年が過ぎ、南から来た美容師たちもすっかり北京っ子になった。

 四聯で41年働いている耿さんは2300名の顧客をもち、三代にわたって彼を見込んで通い続ける家族もいる。耿さんからみれば、みんな数多い美容室の中から四聯を選ぶのは、四聯のサービスの質、衛生条件、理髪技術と切っても切れない関係がある。

 貴賓室の隣にいる帰秀鳳さんも四聯に長く務めるベテランで、女性理容を担当している。1980年に四聯に入り、北京市労働模範などの多くの名誉称号を受け、国家級高級美容師である。

 すでに退職して8年がたつが、企業や顧客に呼ばれ、彼女はまだ週に4回勤務しており、順番待ちの客が長い列となっている。ちょうど順番待ちをしていた何さんは北京っ子で、いつも同僚や友人を連れてきては、帰さんに理髪をお願いしているという。普段香港に住む李さんは、あるとき王府井をぶらぶらしていて、偶然四聯に入り、帰さんに理髪してもらった。それから10数年ずっと毎年北京に来て、帰さんに理髪をお願いしているという。

 今年81歳になる呉永亮さんは61年前に上海から北京にやってきた美容師のうち最若手の一人で、開店翌日には梅蘭芳夫人の福芝芳さんの理髪を手掛けたという。彼は昨年10月までずっと毎週2回勤務し続けていた。

 

時代と共に進む

 北京のサービス業の老舗として、中国でかつて流行した髪形はみな四聯で生まれたものだった。60年がたち、美容室は至るところにできたが、四聯の地位は依然として堅固たるもので、それは伝統技術を守って来た美容店であるからのみならず、顧客が安心して快適にサービスを受けることができる美容室であり、かつ革新し続けることを止めない美容室であるからである。

 四聯の顧客は中高年が多いとはいえ、彼らも若帰り、時流化の試みを怠ったりしない。三階にあるニューコンセプトサロンは10数年続いており、多くの若者の人気を得ていて、技術総監督の王戦勝が勤務している日はいつでも長い行列ができる。そのほか、四聯の若い美容師たちの育成も担っている。四聯が無形文化遺産登録を申請したのも、こうした伝統技術を保護し、技術を流失させないためである。ドライヤーとブラシだけで、ドライヤーの風量や温度を調節し、さらに櫛の角度と方向をこまめに調整しながら、あっという間におしゃれなカールをつくり上げる。時代の発展とともにこうした技術は失われつつあり、四聯以外にこうした技術が可能な店はもはや少ない。

 現在、四聯は全国唯一の老舗国有美容企業である。国営という強みは安定性にあるのだけでなく、老舗の温かみのある雰囲気にもある。長年、四聯は師匠が弟子に一対一で教えてゆくという伝統を守っている。一般の理髪店では見習いは3、4カ月で独り立ちして髪を切り始めるが、四聯では2年以上の訓練が必要とされている。

 四聯は王府井大街で、首都北京の顔となっているのだ。

(未署名の写真は四聯美髪美容有限責任公司の提供によるもの)


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