中国画報—大北照相の百年

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大北照相の百年

2018-06-15      文=周晨亮    

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    北京前門大街にある大北照相館。 写真 人民画報社 王振党

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    1970年代の大北照相館

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    1980年代の大北照相館の撮影技師

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    1990年代の大北照相館

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    大北照相館の陳列室  写真 人民画報社 王振党

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    大北照相館で北京京劇院のプロ化粧師の化粧を受ける顧客。 写真 人民画報社 陳建

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    人民大会堂で第19回人民代表大会代表の記念撮影の予行演習を行う大北照相館の職員たち

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    大北照相館の汪東儒董事長  写真 人民画報社 陳建

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 写真は美しいものを愛するからという理由だけでなく、多くの人が写真によって素晴らしい記憶を残そうとするものである。大北照相は100年の歴史をもつ写真館で、一枚一枚の写真で多くの家庭の素晴らしい記憶を記録し、中国の発展のために貴重な映像を残して来た。

 

大北照相での写真撮影が流行

 「あの時代には、北京南部に住む人々はお金をかき集めて大北に来て写真を撮ったものです」と、大北照相の汪東儒理事長はこのように大北の名声が轟いていた様子を語ってくれた。

 1921年、隆福寺街の鴻記照相で修行した趙雁臣が始めた大北照相は、まず北京の前門大柵欄の石頭胡同に店を開いた。石頭胡同は当時とても賑わっていた場所で、周囲には戯楼や茶館が林立し、芝居好きが多く通い、趙雁臣は主に戯曲の服装をして写真をとる写真館を念頭に置いており、青衣・花旦・小生・花臉(すべて伝統劇の役柄の名前)の扮装をすべてそろえていた。このほか、西洋風の結婚衣装や博士の衣装などの独特な衣装もあり、他の写真館には見られない特徴をもっていた。当時の大北には6つの化粧室があり、それでも客が多いときには足りなかった。

新中国成立後、大北も国営企業となり、より繁華な前門大街に移転した。文革期間中に大北の特徴である戯曲の服装写真は禁止されたものの、人物肖像や証明書用写真においても北京の十大写真館の中で優れた技術をもっていた。  

1970年代末の改革開放後、写真はぜいたく品から日常生活品となり、カラーの子どもの写真、人物芸術写真、家族写真などの撮影が流行し、それは今でも続いている。年初ともなると盛装した家族が揃って大北に行って家族写真を撮影することが流行し、大北の支店はどこも長い行列ができたという。

 

共和国のための記念写真

 1954年から、政府機関や国家組織の団体写真はずっと大北が撮影してきており、国家の多くの歴史的瞬間を見届けて来た。例えば毛沢東主席が人民大会堂で大型音楽舞踊史詩『東方紅』スタッフ全体と接見する写真であるとか、周恩来総理がアジア・アフリカ卓球友好招待試合の参加選手に接見した際の写真などである。

 大北には機関サービス部という部門があり、1950年代から今まで、全国党代表や全国人民代表大会と政治協商会議の中央指導者と代表・委員の記念写真などを撮影している。汪東儒理事長は先ほど終了した第19回人民代表大会代表の記念撮影の印象がとても強かったと語る。

 彼女によると、20179月初め、大北ではベテランから若者まで三世代を組み合わせた14人の業務チームを成立させ、20ページ余りの撮影案を作成し、4台の10億画素のスイス・ザイツ社のラウンドショット機を使い、さらには人民大会堂の管理局とともに27組のソケットと高さ5メートルの特製照明器具をつくりあげた。このライトは「モジュール化され、組み立てやすく、散熱が少ない」もので、被写体に照明を当てても熱く感じさせないものであった。彼らはさらに現場で二度の予行演習を行い、当日の撮影は一回で成功した。

 「仕事をこんなに長い期間していても、グループを引き連れて集団写真を撮影するときにはやはり緊張します」と彼女は語る。「35メートル半径内には大北の5人の作業員が立ち働くだけで、2000人余りの目がわれわれを見つめているのだから、緊張しないわけがないでしょう?」。ただし、この種の緊張は昔のものとは違う。ベテランたちは仕事時間が長くなると、逆にますます注意深くする必要があることを知っており、ここには長年蓄積してきた慎重さと謙虚さが含まれている。「ここ数年、大北とともに国の重要な瞬間を見届けることができ、それは大北の栄誉であり、われわれの栄誉でもあります」と彼女は語る。

 

技術の強み

 老舗が持つ魅力とは、路地の奥深くにある居酒屋の美酒のようである。100年近い年月、大北は技術革新を重ね、人々に多元的で優れたサービスを提供してきた。2006年、大北照相は商務部により「中華老字号(老舗に与えられる称号)」の称号を受けた。

 汪東儒理事長は、大北最大の特色は、大北の写真がきめ細かく、潤いがあり、質感を重んじているところだと語る。「顧客の年齢ごとに皮膚構造は異なり、姿勢や造型で長所を見せ、短所を隠すことで質感を最高のものとすることができます」

 原版修正について言えば、従来はフィルム現像の際、薬品で洗う技術を使っていたが、大北のベテラン技師は薬膜の扱いにおいて驚くべき技をもっていた。彼らは原版の不必要な薬膜をすべて取り去り、さらにそれに取って代わる薬膜を貼りつけ、こうした過程はまるで顕微鏡下で行われる外科手術のようだった。

 昔のフィルム撮影では、さらに写真に色付けするという技術があった。大北の古い技師たちは伝統的な着色技術により現在の人物肖像に対しても新たな試みを行っている。

 「伝統的な着色技術で用いられるのは油絵の絵の具です。現在のカラー印画紙は以前のモノクロ印画紙よりも着色効果がうすく、すべて技術者の色彩の濃淡コントロールによって左右され、その着色過程はまるで油絵の創作過程のようです」。ここまで語ったところで、ベテラン技師たちは、新しい完成間近な伝統的着色技術を用いた人物の芸術写真を取り出して見せてくれた。1970年代のカラー写真に比べ、画面はより細かで、アート感に溢れ、油絵よりも写実的で真に迫ったものであった。

 

老舗写真館の新たな青春

 どうやって老舗写真館の100年にもわたる技術と特色を守り続けることができたのか。ただ守るだけでは生存できず、まるきり路線を変えたらもはや老舗ではなくなってしまう。この過程で大北が大切にしたのは人材の新旧結合で、ベテラン技師は技術にすぐれ、若者は時流に敏感である。設備は新たになり、時代が変わっても、大北の風格と精髄はこうして伝承されてきた。

 汪東儒理事長は、「老舗の魅力はその実一種の歳月のもとで蓄積された伝統と特色であり、他に換え難い優れた技術と感情に守られたものです。新たな時代には新たな時代感と使命感が必要です。今後の仕事はより大きくなり、理想があり、信念があり、人々に喜んで奉仕する人材グループがわれわれの仕事にはとても重要となります。ここ数年の実践と模索を経て、現在のこうした若者をとてもかわいいと思うようになりました」と語る。

 

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大北照相の百年

2018-06-15      文=周晨亮      

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    北京前門大街にある大北照相館。 写真 人民画報社 王振党

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    1970年代の大北照相館

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    1980年代の大北照相館の撮影技師

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    1990年代の大北照相館

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    大北照相館の陳列室  写真 人民画報社 王振党

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    大北照相館で北京京劇院のプロ化粧師の化粧を受ける顧客。 写真 人民画報社 陳建

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    人民大会堂で第19回人民代表大会代表の記念撮影の予行演習を行う大北照相館の職員たち

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    大北照相館の汪東儒董事長  写真 人民画報社 陳建

 

 写真は美しいものを愛するからという理由だけでなく、多くの人が写真によって素晴らしい記憶を残そうとするものである。大北照相は100年の歴史をもつ写真館で、一枚一枚の写真で多くの家庭の素晴らしい記憶を記録し、中国の発展のために貴重な映像を残して来た。

 

大北照相での写真撮影が流行

 「あの時代には、北京南部に住む人々はお金をかき集めて大北に来て写真を撮ったものです」と、大北照相の汪東儒理事長はこのように大北の名声が轟いていた様子を語ってくれた。

 1921年、隆福寺街の鴻記照相で修行した趙雁臣が始めた大北照相は、まず北京の前門大柵欄の石頭胡同に店を開いた。石頭胡同は当時とても賑わっていた場所で、周囲には戯楼や茶館が林立し、芝居好きが多く通い、趙雁臣は主に戯曲の服装をして写真をとる写真館を念頭に置いており、青衣・花旦・小生・花臉(すべて伝統劇の役柄の名前)の扮装をすべてそろえていた。このほか、西洋風の結婚衣装や博士の衣装などの独特な衣装もあり、他の写真館には見られない特徴をもっていた。当時の大北には6つの化粧室があり、それでも客が多いときには足りなかった。

新中国成立後、大北も国営企業となり、より繁華な前門大街に移転した。文革期間中に大北の特徴である戯曲の服装写真は禁止されたものの、人物肖像や証明書用写真においても北京の十大写真館の中で優れた技術をもっていた。  

1970年代末の改革開放後、写真はぜいたく品から日常生活品となり、カラーの子どもの写真、人物芸術写真、家族写真などの撮影が流行し、それは今でも続いている。年初ともなると盛装した家族が揃って大北に行って家族写真を撮影することが流行し、大北の支店はどこも長い行列ができたという。

 

共和国のための記念写真

 1954年から、政府機関や国家組織の団体写真はずっと大北が撮影してきており、国家の多くの歴史的瞬間を見届けて来た。例えば毛沢東主席が人民大会堂で大型音楽舞踊史詩『東方紅』スタッフ全体と接見する写真であるとか、周恩来総理がアジア・アフリカ卓球友好招待試合の参加選手に接見した際の写真などである。

 大北には機関サービス部という部門があり、1950年代から今まで、全国党代表や全国人民代表大会と政治協商会議の中央指導者と代表・委員の記念写真などを撮影している。汪東儒理事長は先ほど終了した第19回人民代表大会代表の記念撮影の印象がとても強かったと語る。

 彼女によると、20179月初め、大北ではベテランから若者まで三世代を組み合わせた14人の業務チームを成立させ、20ページ余りの撮影案を作成し、4台の10億画素のスイス・ザイツ社のラウンドショット機を使い、さらには人民大会堂の管理局とともに27組のソケットと高さ5メートルの特製照明器具をつくりあげた。このライトは「モジュール化され、組み立てやすく、散熱が少ない」もので、被写体に照明を当てても熱く感じさせないものであった。彼らはさらに現場で二度の予行演習を行い、当日の撮影は一回で成功した。

 「仕事をこんなに長い期間していても、グループを引き連れて集団写真を撮影するときにはやはり緊張します」と彼女は語る。「35メートル半径内には大北の5人の作業員が立ち働くだけで、2000人余りの目がわれわれを見つめているのだから、緊張しないわけがないでしょう?」。ただし、この種の緊張は昔のものとは違う。ベテランたちは仕事時間が長くなると、逆にますます注意深くする必要があることを知っており、ここには長年蓄積してきた慎重さと謙虚さが含まれている。「ここ数年、大北とともに国の重要な瞬間を見届けることができ、それは大北の栄誉であり、われわれの栄誉でもあります」と彼女は語る。

 

技術の強み

 老舗が持つ魅力とは、路地の奥深くにある居酒屋の美酒のようである。100年近い年月、大北は技術革新を重ね、人々に多元的で優れたサービスを提供してきた。2006年、大北照相は商務部により「中華老字号(老舗に与えられる称号)」の称号を受けた。

 汪東儒理事長は、大北最大の特色は、大北の写真がきめ細かく、潤いがあり、質感を重んじているところだと語る。「顧客の年齢ごとに皮膚構造は異なり、姿勢や造型で長所を見せ、短所を隠すことで質感を最高のものとすることができます」

 原版修正について言えば、従来はフィルム現像の際、薬品で洗う技術を使っていたが、大北のベテラン技師は薬膜の扱いにおいて驚くべき技をもっていた。彼らは原版の不必要な薬膜をすべて取り去り、さらにそれに取って代わる薬膜を貼りつけ、こうした過程はまるで顕微鏡下で行われる外科手術のようだった。

 昔のフィルム撮影では、さらに写真に色付けするという技術があった。大北の古い技師たちは伝統的な着色技術により現在の人物肖像に対しても新たな試みを行っている。

 「伝統的な着色技術で用いられるのは油絵の絵の具です。現在のカラー印画紙は以前のモノクロ印画紙よりも着色効果がうすく、すべて技術者の色彩の濃淡コントロールによって左右され、その着色過程はまるで油絵の創作過程のようです」。ここまで語ったところで、ベテラン技師たちは、新しい完成間近な伝統的着色技術を用いた人物の芸術写真を取り出して見せてくれた。1970年代のカラー写真に比べ、画面はより細かで、アート感に溢れ、油絵よりも写実的で真に迫ったものであった。

 

老舗写真館の新たな青春

 どうやって老舗写真館の100年にもわたる技術と特色を守り続けることができたのか。ただ守るだけでは生存できず、まるきり路線を変えたらもはや老舗ではなくなってしまう。この過程で大北が大切にしたのは人材の新旧結合で、ベテラン技師は技術にすぐれ、若者は時流に敏感である。設備は新たになり、時代が変わっても、大北の風格と精髄はこうして伝承されてきた。

 汪東儒理事長は、「老舗の魅力はその実一種の歳月のもとで蓄積された伝統と特色であり、他に換え難い優れた技術と感情に守られたものです。新たな時代には新たな時代感と使命感が必要です。今後の仕事はより大きくなり、理想があり、信念があり、人々に喜んで奉仕する人材グループがわれわれの仕事にはとても重要となります。ここ数年の実践と模索を経て、現在のこうした若者をとてもかわいいと思うようになりました」と語る。

 


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