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烏鎮演劇フェスティバルでの対話

2018-01-02      文=李卓希

 

 

 1029日、中国浙江省烏鎮で烏鎮演劇フェスティバルの幕が切って落とされた。その誕生からアジアで最も世界的影響力をもつ演劇フェスティバルの一つになるまで、わずか5年しかかからなかった。烏鎮演劇フェスティバルは演劇の祭典であり、この祭典は厳粛な目標を持っている。

 現在、ますます多くの中国演劇が世界各国の舞台にのぼっているが、そのほとんどが演劇祭などのイベントの機会に単発的に上演されるだけで、劇場での長期公演や各地巡業などには至っていない。今回の烏鎮演劇フェスティバル期間中に国内外の演出家、劇作家、学者がこの問題について深く切り込んだ対話を行い、ともに中国の演劇をいかにして世界に向かわせるかについて模索した。

 

 

世界へ向けた交流

評論家、俳優、米国学者のリサ・テイラー・ルノー:最近5人の中国の演出家による演目がドイツで上演され、熱烈な反響を呼びました。そのうちの一人はイギリスのメイン紙がまるまる1ページを割いて注目したほどでした。ここからも西洋の中国の演劇に対する大いなる興味を見て取ることができます。しかし、このように注目されても、どうしてさらに多くの中国演劇が国外で上演されることはないのでしょうか。

上海戯劇学院高級戦略顧問、ドイツ籍学者ハンス・ゲオルグ・クノップ:一つの演目の上演は通常は演出家が決定するもので、このため交流やコミュニケーションがとても重要になります。烏鎮演劇フェスティバルでは現在一つの交流プラットホームをつくりあげており、みんなが演劇の外でさらに深いコミュニケーションを行って、国外の演劇関係者に新たに自国で上演できる内容を発見してもらおうとしています。これは知らず知らずのうちに感化された結果によるものであり、もしかしたら短期的に成果はないかもしれませんが、絶対にやるべき価値はあります。

 

 

グローバル化と現地化の矛盾

ロンドン大学アジアアフリカ学院東アジア言語と文化学部教授、中文演劇専門家、英国学者のロッセーラ・フィオレッリ:中国演劇が世界に向かうという時のその世界とは何を指すのでしょうか。

烏鎮演劇フェスティバルの発起者で中国演出家の孟京輝:中国が世界に向かうということは、ほぼ西洋に受け入れられるということを指します。全世界の芸術圏のなかで中国の演劇は独自性を保ちつつ、また他人に影響を与えることのできるだけの力を持つべきなのです。一人の演出家がどのようにして国際言語環境のなかでその現地の人々にサービスするか、これはとても難しい問題です。

ハンス・ゲオルグ・クノップ:これは私がずっと考えてきた問題です。一つのよい演目はある特定の文化のために創作されたものであり、その表現や言語はもしかしたら世界のその他の場所ではふさわしくないかもしれません。だからわれわれがこの問題を討論するときには、さらに世界化と現地化の矛盾について討論せねばなりません。演劇創作が追い求めるものは完全な形式ではなく、一種の生活により近い粗削りなものなのです。このような演劇がその他の文化的言語的環境のなかではじめて意義をもつものとなるのです。

リサ・テイラー・ルノー:私もみなさんの「演劇のグローバル化」という言葉に対する疑問に同意します。喩えていうなら、西洋文化に基づいて演劇をつくるなら、あなたの自分の家のソファに絵を描くのと同じで、ソファがどんな色で、どんな絵が似合うのか考えなくてはなりません。私はさらに多くの現地化した演劇を見たいのであって、西洋人のソファの色に合うようにつくられた演劇を見たいのではありません。

上海国際現代演劇祭の総監督、中国劇作家喩栄軍:中国は現在、特に文化的自信について強調しています。中国演劇はうぬぼれたり、過小評価したりしてはならず、さらにより広い視野をもってこそ、ようやく本当に海外へ向かうことができるのです。過去20年の間に、世界の中国に対する認知はさらに一歩深まり、また現代中国の発展状況に対して理解したいという切迫した思いがあります。そのために演劇はとてもよい材料となるでしょう。これに基づき、演劇創作者は創作の際、常に次のような問題に直面することになります。それは、西洋に迎合する、あるいは理解されたいと願うか、それとも完全に自分のやりたいように創作を行うかということです。これは芸術と資本、観衆の間の戦争で、ただ資本と観衆に従うだけならば、必ず自我を失うことになるでしょう。

 

 

 

理解できない部分が、理解しなければならないという原動力

リサ・テイラー・ルノー:今後はロボットの天下になるという人がいますが、私は今後の演劇は翻訳者が大きな力を持つのではないかと考えています。演劇が国外に出ると、翻訳は極めて重要なものとなります。多くの世界的な劇団が大きな努力をしてつくりあげた作品が世界に向かうとき、往々にしてひどい翻訳によって台無しにされてしまいます。異なる文化や異なる言語で翻訳が行われるとき、しばしば深いところにあるユーモアが失われます。単純で粗い翻訳は演劇の境地や美的感覚を損ない、外国の観客に理解されず、受け入れられないという結果を引き起こします。

喩栄軍:私は翻訳の重要性は言語の局面のみならず、文化的差異の面でも現れると思っています。たとえば中国の戯曲の翻訳はとても難しく、表現しなければいけないのは歌詞だけでなく、その美的感覚であり、形態であり、表現方法です。言語の独自性の背後には多くの文化面での内容があるのです。

孟京輝:言語は中国演劇が世界に向かう障害ではありません。われわれはテクストからお互いを完全に理解できないとき、逆に細部理解を通してお互いを理解しようと試み、往々にして普段とは異なる、あるいは注意していなかった事柄を発見します。演劇の魅力はあなたが完全に理解できないことにあるのです。私は現代作家のローウェの話を引用したいと思います。「われわれが理解できない一部分こそがわれわれが理解しようとする原動力である」

ハンス・ゲオルグ・クノップ:翻訳できない細かな事柄もまた美しいものです。19世紀の演劇評論は通常テクストの完全な理解に基づくものでしたが、現代の演劇文化では次第にテクストへの過度の依存から離れつつあり、われわれはより身体言語表現やポストモダンの表現により注意を払うようになっています。

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