中国画報—芸術観を用いて現実を照らす——美術家楊志凌との対話

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芸術観を用いて現実を照らす——美術家楊志凌との対話

2018-03-06      喬振祺=文    

  • 14.《土地没有失忆》——环保系列之二       纸本·水彩   36.5 X 25.7    2010年6月  杨志凌.jpg

    『土地は記憶喪失にならない』(水彩画)

  • 2.《鸟殇》——环保系列之六        纸本·水彩   31.5cm X53cm  2010年7月  杨志凌.jpg

    『鳥殤』(水彩画)

  • 4.《岔怒大黑天》——藏密彩意系列之七     纸本·水彩     28cm X38 cm   2012年 11月   杨志凌  .jpg

    『岔怒大黒天』(水彩画)

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楊志凌:中国美術家協会会員、国家一級美術師、中国現代水彩名家、清華大学深圳研究生院兼職教授、深圳大学客員教授、世界低炭素連盟芸術顧問。代表的な作品として、『蔵密彩意』シリーズ、『環境保護』シリーズ、『火山』シリーズ、『面非面』シリーズ、『光截』シリーズなど。

 

 「芸術家にとって確かに重要なものがある。それは、長年の努力により、社会との本物の対話を探し当てることだ」――スペインの大芸術家アントニ・タピエス(19232012

 

 楊志凌氏は1954年に内蒙古で生まれ、幼い頃から子供向けの連環画(小型の漫画本)が好きで、その中に出てくる楊家将や岳飛、神筆馬良(中国の著名な児童文学の主人公)らの正義に溢れた勇ましい姿を見て、彼らの忠義心が幼な心に深い印象を刻んだ。彼は幼時からそうした悪を懲らしめる正義の姿を絵筆により表現しようとする志を持った。内蒙古師範大学美術学部を卒業した後も、彼はあらゆる学習のチャンスを利用するよう心がけ、よく考えて大胆に模索し、絵画を用いて人類の生存の命運を反映させる芸術の道を歩み始めた。

 楊氏は芸術を専門的に学んだが、芸術により生計を立てようとしたわけでなく、彼は自分自身の豊富な学問の経歴を自己の独特な芸術体験として内部化した。こうした「離れずつかず」の貴重な状態により、彼は一方で芸術的動向に冷静な傍観者的態度を保ち、また一方でより広い視野で芸術の社会に対する促進作用を見てとることができた。

 彼の絵画芸術はその他の現代絵画とは大いに異なる。絵画芸術が図像エコノミカル・ロジックによって操られ、商業的追求として表現されるようになると、国内外を問わず大部分の芸術家はみな自己スタイルの確立に力を入れるようになった。しかし楊氏は自らを記号化することがなく、これが彼の絵画芸術を他に抜きんでたものとしている。しかし彼の作品からは人々の本当の思想や自然環境の変化を見て取ることができる。

 楊氏は一般の生活状態を描かず、生命の生存感や人類福祉を主に表現し、いかなる創作形式をとろうとも、彼はいつでも作品の中に自分の精神や感情、人間や世界への観点を注入する。例えば作品『鳥』では、自由に飛翔する鳥が突然硬直した遺体と化し、空に浮かぶ固体となってしまう瞬間を描いている。この瞬間はまさに人類のいびつな欲望が膨らみすぎたことによるもので、人の森林や植物に対する破壊や、ある物質に対する壊滅的な打撃を連想させる。楊氏は鳥が墜落する瞬間に、人と自然との同一性というこの恒久的なテーマを表現したのである。

 長年の芸術的に対する悟りが、彼が自らを鍛錬して生み出した3つの宝を出現させた。それは観察、写生、実験である。観察は社会の中から学ぶことで、写生は自然の中から学ぶことで、実験は科学の中から学ぶことだ。この基礎の上に彼は「人格化風景」「思考の反射」「時に現れる勧善」の理論と実践とを切り開いた。楊氏が絵画において表現した思いは、見る者が作品の前に行ってみる前にすでに彼らの潜在意識に存在していたもので、見る者が絵に対峙したとき、すぐさま潜在意識に隠されていた思いが刺激されて浮かび上がってくるのだ。彼は芸術という方法で人々の心に触れ、最終的に社会の進歩意識の喚起を推進したいと願っている。これらの芸術理論は十分に彼の創作の中に現れている。楊氏の作品が追い求める基準とは、社会性、思想性、実験性であり、見る者は彼の作品の中に深い内容を感じ取ることができるのである。

 

画報あなたの芸術創作は、いくつの段階に分けることができますか?

楊志凌:私の芸術は4つの段階に分けることができます。第一段階は芸術の平面的表現の時期です。そのとき、私は内蒙古で大学の教師をやっていて、第三回全国美術展に参加し、文化財であるフフホトの大召寺経堂の壁画を修復し、内蒙古自治区水彩画会の会長をつとめ、多くの作品を出版しました。第二段階は、芸術の立体的表現の時期で、北京人民大会堂内の蒙古ホールなど数十の芸術作品の改造工事を設計・施工し、多くの国家賞や名誉賞を受賞しました。第三段階は社会・芸術の整理統合・再構築を行い、芸術を社会に参与する一種の手段としての実践と下地にした時期です。第四段階は「悟り」により、「人格化風景」「思考の反射」「時に現れる勧善」の理論と実践を切り開いた時期です。人類文明の発展と芸術的創作に身を投げ打ち、己の精神と鑑賞者との共鳴を強調し、さらに人類の思想と生活に関与し、形式にこだわらずに、うまく今日の風格と作品を創り上げました。これこそが私の「悟り」と「変化」の結果なのです。

 

画報:あなたは社会と環境問題の重視を芸術創作の核とした作品をいつからつくり始めたのですか? どうしてそのように変化したのでしょうか。

楊志凌:人類社会・環境問題をとりあげて創作を行いたいという私の願いはずっと存在していたものでしたが、当初は社会と自分自身の発展の選択においてこうした考えが目立たなかっただけです。小さい頃から連環画の影響を受け、英雄を崇拝し、画筆で勧善懲悪をしたいという願いをもっていました。古代建築を修復して全国科学技術賞を受賞したときには、人類文明を保護しよう、自然の生命を保護しようと決心しました。私の写生や自分自身で好んで描く作品の中には、こうした表現がすべてに見られます。たとえば私が創作した舟山群島シリーズの水彩画はすべて『一級風』『二級風』『三級風』といったように風力名がついています。この作品は海の波の活動の変化により風力の大小を表現したものです。これは私の当時の環境観・時代観を表しています。

 社会発展が新たな時代に入ると、中国は人類運命共同体の構築を提起し、中国の人類発展に対する貢献はますます大きくなり、芸術の視野と胸襟も自然と開放的なものとなっていきます。私は責任ある大国の画家として祖国を胸に、世界に視野を広げるべきだと思います。だから私は自然の命や生存問題、人類文明の発展・進歩を芸術で表現するという偉大なる目標に我が身を捧げることを堅く決心したのです。

 

画報:あなたは創作技法・表現形式と思想的内容との関係をどのようにご覧になりますか?芸術創作による媒介と形式の模索・超越は、キャンパス上の芸術から抜け出すということに対し、どんなプラス影響があるのでしょうか。

楊志凌:芸術創作とはつまりイノベーションであり、他と異なる必要があり、先人と同じことをやらず、自らもコピーしてはならず、科学技術と争って真を映そうとしてもいけないし、覇を唱えてクローンを作ってもいけないし、ひけらかすために技を競ってもいけないし、確固たるものがないのに大げさにしてはなりません。芸術創作は大衆の心の声や自分自身の精神を現すもので、必要な形式を用い、必要とする技術を用い、技術がなければ新たに技術を創り、形式がなければ新たな形式を創造する必要があります。最後には作品が人々の共鳴を呼ぶかどうか、心の交流がもつかどうかを観なくてはなりません。

ここ数年、学術界でも芸術界でも熱く討議された話題があり、それはすなわちキャンパス上の絵画の危機であり、ひいてはキャンパス絵画の滅亡です。これは絵を描く人が減った、或いは絵画という形式がなくなったわけではありません。この形式はいまだ昔と変わらずに存在しますが、絵画と社会との関係性、すなわち人生の反映、時代の需要を反映する能力が弱まったということです。芸術はしだいにひとつの閉鎖的なものとなり、時が経つにつれてもともとは社会から生まれた芸術が社会から疎外され、いわゆるキャンパス絵画の危機というものが生まれました。私の創作は極力こうした局限性を打ち破るもので、私は自分を記号で構築された城塞の中に閉じ込めようとは思わず、自分がすでに創り上げている記号に挑戦し、すべてを利用してイメージ源を獲得し、再び社会の需要に戻り、社会の需要構造の中に溶け込もうとしています。このため、キャンパス上のものでも、インスタレーションあるいはマルチメディアのものでも、芸術と社会との密接な関係を再び生み出させたいと思っています。

 

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芸術観を用いて現実を照らす——美術家楊志凌との対話

2018-03-06      喬振祺=文      

  • 14.《土地没有失忆》——环保系列之二       纸本·水彩   36.5 X 25.7    2010年6月  杨志凌.jpg

    『土地は記憶喪失にならない』(水彩画)

  • 2.《鸟殇》——环保系列之六        纸本·水彩   31.5cm X53cm  2010年7月  杨志凌.jpg

    『鳥殤』(水彩画)

  • 4.《岔怒大黑天》——藏密彩意系列之七     纸本·水彩     28cm X38 cm   2012年 11月   杨志凌  .jpg

    『岔怒大黒天』(水彩画)

 

楊志凌:中国美術家協会会員、国家一級美術師、中国現代水彩名家、清華大学深圳研究生院兼職教授、深圳大学客員教授、世界低炭素連盟芸術顧問。代表的な作品として、『蔵密彩意』シリーズ、『環境保護』シリーズ、『火山』シリーズ、『面非面』シリーズ、『光截』シリーズなど。

 

 「芸術家にとって確かに重要なものがある。それは、長年の努力により、社会との本物の対話を探し当てることだ」――スペインの大芸術家アントニ・タピエス(19232012

 

 楊志凌氏は1954年に内蒙古で生まれ、幼い頃から子供向けの連環画(小型の漫画本)が好きで、その中に出てくる楊家将や岳飛、神筆馬良(中国の著名な児童文学の主人公)らの正義に溢れた勇ましい姿を見て、彼らの忠義心が幼な心に深い印象を刻んだ。彼は幼時からそうした悪を懲らしめる正義の姿を絵筆により表現しようとする志を持った。内蒙古師範大学美術学部を卒業した後も、彼はあらゆる学習のチャンスを利用するよう心がけ、よく考えて大胆に模索し、絵画を用いて人類の生存の命運を反映させる芸術の道を歩み始めた。

 楊氏は芸術を専門的に学んだが、芸術により生計を立てようとしたわけでなく、彼は自分自身の豊富な学問の経歴を自己の独特な芸術体験として内部化した。こうした「離れずつかず」の貴重な状態により、彼は一方で芸術的動向に冷静な傍観者的態度を保ち、また一方でより広い視野で芸術の社会に対する促進作用を見てとることができた。

 彼の絵画芸術はその他の現代絵画とは大いに異なる。絵画芸術が図像エコノミカル・ロジックによって操られ、商業的追求として表現されるようになると、国内外を問わず大部分の芸術家はみな自己スタイルの確立に力を入れるようになった。しかし楊氏は自らを記号化することがなく、これが彼の絵画芸術を他に抜きんでたものとしている。しかし彼の作品からは人々の本当の思想や自然環境の変化を見て取ることができる。

 楊氏は一般の生活状態を描かず、生命の生存感や人類福祉を主に表現し、いかなる創作形式をとろうとも、彼はいつでも作品の中に自分の精神や感情、人間や世界への観点を注入する。例えば作品『鳥』では、自由に飛翔する鳥が突然硬直した遺体と化し、空に浮かぶ固体となってしまう瞬間を描いている。この瞬間はまさに人類のいびつな欲望が膨らみすぎたことによるもので、人の森林や植物に対する破壊や、ある物質に対する壊滅的な打撃を連想させる。楊氏は鳥が墜落する瞬間に、人と自然との同一性というこの恒久的なテーマを表現したのである。

 長年の芸術的に対する悟りが、彼が自らを鍛錬して生み出した3つの宝を出現させた。それは観察、写生、実験である。観察は社会の中から学ぶことで、写生は自然の中から学ぶことで、実験は科学の中から学ぶことだ。この基礎の上に彼は「人格化風景」「思考の反射」「時に現れる勧善」の理論と実践とを切り開いた。楊氏が絵画において表現した思いは、見る者が作品の前に行ってみる前にすでに彼らの潜在意識に存在していたもので、見る者が絵に対峙したとき、すぐさま潜在意識に隠されていた思いが刺激されて浮かび上がってくるのだ。彼は芸術という方法で人々の心に触れ、最終的に社会の進歩意識の喚起を推進したいと願っている。これらの芸術理論は十分に彼の創作の中に現れている。楊氏の作品が追い求める基準とは、社会性、思想性、実験性であり、見る者は彼の作品の中に深い内容を感じ取ることができるのである。

 

画報あなたの芸術創作は、いくつの段階に分けることができますか?

楊志凌:私の芸術は4つの段階に分けることができます。第一段階は芸術の平面的表現の時期です。そのとき、私は内蒙古で大学の教師をやっていて、第三回全国美術展に参加し、文化財であるフフホトの大召寺経堂の壁画を修復し、内蒙古自治区水彩画会の会長をつとめ、多くの作品を出版しました。第二段階は、芸術の立体的表現の時期で、北京人民大会堂内の蒙古ホールなど数十の芸術作品の改造工事を設計・施工し、多くの国家賞や名誉賞を受賞しました。第三段階は社会・芸術の整理統合・再構築を行い、芸術を社会に参与する一種の手段としての実践と下地にした時期です。第四段階は「悟り」により、「人格化風景」「思考の反射」「時に現れる勧善」の理論と実践を切り開いた時期です。人類文明の発展と芸術的創作に身を投げ打ち、己の精神と鑑賞者との共鳴を強調し、さらに人類の思想と生活に関与し、形式にこだわらずに、うまく今日の風格と作品を創り上げました。これこそが私の「悟り」と「変化」の結果なのです。

 

画報:あなたは社会と環境問題の重視を芸術創作の核とした作品をいつからつくり始めたのですか? どうしてそのように変化したのでしょうか。

楊志凌:人類社会・環境問題をとりあげて創作を行いたいという私の願いはずっと存在していたものでしたが、当初は社会と自分自身の発展の選択においてこうした考えが目立たなかっただけです。小さい頃から連環画の影響を受け、英雄を崇拝し、画筆で勧善懲悪をしたいという願いをもっていました。古代建築を修復して全国科学技術賞を受賞したときには、人類文明を保護しよう、自然の生命を保護しようと決心しました。私の写生や自分自身で好んで描く作品の中には、こうした表現がすべてに見られます。たとえば私が創作した舟山群島シリーズの水彩画はすべて『一級風』『二級風』『三級風』といったように風力名がついています。この作品は海の波の活動の変化により風力の大小を表現したものです。これは私の当時の環境観・時代観を表しています。

 社会発展が新たな時代に入ると、中国は人類運命共同体の構築を提起し、中国の人類発展に対する貢献はますます大きくなり、芸術の視野と胸襟も自然と開放的なものとなっていきます。私は責任ある大国の画家として祖国を胸に、世界に視野を広げるべきだと思います。だから私は自然の命や生存問題、人類文明の発展・進歩を芸術で表現するという偉大なる目標に我が身を捧げることを堅く決心したのです。

 

画報:あなたは創作技法・表現形式と思想的内容との関係をどのようにご覧になりますか?芸術創作による媒介と形式の模索・超越は、キャンパス上の芸術から抜け出すということに対し、どんなプラス影響があるのでしょうか。

楊志凌:芸術創作とはつまりイノベーションであり、他と異なる必要があり、先人と同じことをやらず、自らもコピーしてはならず、科学技術と争って真を映そうとしてもいけないし、覇を唱えてクローンを作ってもいけないし、ひけらかすために技を競ってもいけないし、確固たるものがないのに大げさにしてはなりません。芸術創作は大衆の心の声や自分自身の精神を現すもので、必要な形式を用い、必要とする技術を用い、技術がなければ新たに技術を創り、形式がなければ新たな形式を創造する必要があります。最後には作品が人々の共鳴を呼ぶかどうか、心の交流がもつかどうかを観なくてはなりません。

ここ数年、学術界でも芸術界でも熱く討議された話題があり、それはすなわちキャンパス上の絵画の危機であり、ひいてはキャンパス絵画の滅亡です。これは絵を描く人が減った、或いは絵画という形式がなくなったわけではありません。この形式はいまだ昔と変わらずに存在しますが、絵画と社会との関係性、すなわち人生の反映、時代の需要を反映する能力が弱まったということです。芸術はしだいにひとつの閉鎖的なものとなり、時が経つにつれてもともとは社会から生まれた芸術が社会から疎外され、いわゆるキャンパス絵画の危機というものが生まれました。私の創作は極力こうした局限性を打ち破るもので、私は自分を記号で構築された城塞の中に閉じ込めようとは思わず、自分がすでに創り上げている記号に挑戦し、すべてを利用してイメージ源を獲得し、再び社会の需要に戻り、社会の需要構造の中に溶け込もうとしています。このため、キャンパス上のものでも、インスタレーションあるいはマルチメディアのものでも、芸術と社会との密接な関係を再び生み出させたいと思っています。

 


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