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また新しい一年を迎えようとしている今、過ぎ去った日々を振り返ると、一年が瞬く間に過ぎて行ったことに気付く。
2008年は今までの年と同様に、国家と個人の歴史のうえに新しい年輪を刻んだ。しかし、この年には、中国人にとって特別なことがあまりに多く起こったため、特別な年として心に刻まれることになった。
100年に一度の南方の雪害、全国を驚かした汶川大地震、空前の盛況となった北京オリンピック、初めて宇宙空間に足を踏みいれた「神舟七号」、一夜にして有名となったメラミン、世界を席卷した金融危機。2008年は、中国の改革・開放30年に当たる。巨大な災害による試練、達成された栄光と夢、さまざまの憂患と危機、それら歴史の年輪の上に刻まれた中国の座標と中国の表情は、いずれも偉大な国家と国民のたえず向上をめざす自己模索と成長の過程である。
2009年の新しい暦は開かれた。過去をふまえて新しい道を歩んでゆこうではないか。
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南方の雪害を征服
湖南省、貴州省、安徽省、広東省などに大雪が降った。中国は一面の氷雪の中で2008年の序幕を切って落とした。
2008年1月10日から、中国の19の省で雪花が舞い上がった。道路や鉄道が寸断され、空港も閉鎖されて、広州地区に足止めされた旅客は100万人以上となり、春節のふるさとへの道を困難なものとした。断水・停電が起こり、物価が上昇し、ここ50年にない雪害に、南方地区の交通、電力、通信、人々の生活に大きな影響を与え、民政部はこれに対してレベル4の緊急措置を取った。
幸いなことにこの冬、胡錦濤主席の忙しく立ち働く姿を見、温家宝総理の温かい眼差しを感じ、各省・部・委員会の親切なお見舞いをうけ、中国人民解放軍の強大な力の恩恵に預かることができた。このような大雪でも、彼らがいるから、それほど寒さを感じなかった。道路が開通し、鉄道が運行を再開し、空港が開かれ、電力が回復し、水道も通常どおりになった。国民の一致団結により困難は克服され、寒い冬を征服したのだ。
杜登勇;「這ってでも彼女のところに行く」
氷雪で閉ざされた北京・珠海高速道路にぼんやりと遠くまで続く一筋の足跡があった。それは20歳すぎのある若者が残したもので、彼の衣服には氷が張り付き、髪の上には霜が付いていたが、彼はやはり前へ進んでいた。雪害で閉ざされた400キロ先の株洲の恋人に会いに行くためである。
杜登勇は、深圳で働く普通の出稼ぎ青年である。零下2度の寒さの中、16時間かけて100キロ以上も歩いた。夜を徹して道を急ぐ彼は、2枚のジャケットを着ているだけで、水や食料は持っていなかった。2日間に一度しか熱い食事を採っていない。足が感覚を失って、道路に倒れたこともあった。
氷雪の中で、杜登勇はガールフレンドと再会し、抱き合って泣く……。このようなクライマックスは起こらず、まもなく彼らは別れてしまった。しかし、人々の心のなかに、氷雪の中のラブストーリーは長く残ることだろう。
調和と民主の「両会」
2008年3月、「両会」(全国人民代表大会と政治協商会議)が北京人民大会堂で開催され、新しい世代の指導機構・指導グループが選出された。
今回の大会で通過した『国務院機構改革方案』は人々の注目を浴びた。このメディアと専門家に「大部制」と呼ばれた改革方案は、機構統合やマクロコントロール部門の合理的な配置を行い、民生改善を重点とし、社会管理と公共サービス部門を強化・統合するもので、「今回の改革は政府と公民、社会、市場関係を改めて定位しなおし、行政権力の再構築を模索するものである」。
2008年の「両会」では、指導幹部の代表が減り、第一線の「農民工(出稼ぎ労働者)」の代表が増え、新階層の代表や、「80年代後」の世代の代表も自らの利益と希望を主張し始め、民主的な雰囲気が生まれた。このほかに、民生関係の議題も「両会」の重要議題となった。
「2億人を代表する」胡小燕代表
2008年3月5日、胡小燕はほかの2986名の「全人代」の代表とともに、温家宝総理の政府執務報告を聞き、審議した。胸の前の代表証明書が、胡小燕が第十一期全国人民代表大会の代表であることを示している。彼女は中国全人代史上初の「農民工」の代表者である。
2008年「両会」期間に、胡小燕は大胆にいくつかの「農民工」の権益を保障するための建議を提出したため、温総理の賞賛を得た。「この代表はすばらしい。その正義感あふれる発言をみなさい。」
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ラサ事件;分裂は求められていない
2008年3月14日の午前、ラサの市民たちはいつもどおり出勤、通学していた。災難が突然にやってこようとは、誰もが考えなかった。
一群の不法者がラサ市内のメインストリートで暴力・破壊・略奪行為を行い、通り過ぎる車両に火をつけ、道行く人を殴り、ショッピングセンターや電信営業所、政府機構に押し入り、地元の人々の生命や財産に大きな損害をもたらした。18人の無実の人々が命を失い、直接的な財産損害は2億5000万元にも達した。
チャンパ・プンツォク:「このような暴行を認める法治国家は世界中どこにもない」
ラサ事件に対して、チベット自治区のチャンパ・プンツォク主席は、記者に彼の憤慨を示した。「チベット民族は正直で、純朴で、恩を知って恩に報いる民族です。私はチベット人として、チベット族の名をかたってこのような行為を行う人を、恥ずかしいと思う。その行動は社会の大局に何の影響ももたらさなかったばかりか、彼らの本性が世間に暴露されたことになります。」
「私が憤りを感じるのは、ダライらと西方の国の一部の人々が、暴徒の暴行を『平和デモ』といい、人々の命や財産を脅かし社会秩序を破壊する暴力行為に対して政府がとった合法的な処置を、『平和デモの鎮圧』と言うことです。白を黒という不条理な言いがかりです。世界でこのような暴行を認める法治国家がどこにあるというのですか?」
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パラリンピック:生命の強者
下肢を失ってはいるが、彼らは自分の体重の3倍ないし4倍に当たるバーベルを持ち上げることができる。暗やみの中に生活しているが、トラックを飛ぶように走ることができる。片手・片足しかないが、プールの中で魚のように自由に泳ぐことができる。
2008年9月7日から9月17日にかけて、世界各地からやってきた4000人あまりの生命の強者が、北京パラリンピックの「肉体は完全ではないが、精神は頑強である」という抽象的な言葉を完璧に説明した。
選手たちが手にした「北京こんにちは」、「ありがとう中国」の横段幕を見て、ホストとしての努力は報われたと感じた。「中国人の微笑みは人に暖かさと心地よさを感じさせます」と、国際パラリンピック委員会のクレイヴァン会長は語った。
侯斌:「オリンピック精神は私を向上させる」
車椅子に乗った侯斌は自力でロープを手繰り寄せて、自分と車椅子を引き上げ、「鳥の巣」上方にある聖火に点火した。その瞬間の彼の強いまなざしは、人々に深い印象を残した。パラリンピックの聖火が点火した瞬間、多くの人が涙を流した。
9歳の時、交通事故で片足を失った侯斌は、このような人の心を揺り動かす方法でパラリンピックの聖火を点した。「オリンピック精神は私を向上させます」と、自信に満ち溢れ、楽観的で、率直な侯斌は語った。
紙に書かれた偽の虎
2008年6月29日、陝西省鎮坪県の華南虎事件はついに決着がついた。周正竜の撮影した華南虎は「にせの虎」だと、陝西省政府ニュース弁公室は正式に発表したのだ。
2007年10月12日、陝西省林業庁は、鎮坪県の農民周正竜が10月3日、野生の華南虎の写真を撮ったと発表し、その写真を公表、そして周正竜に賞金2万元を授与した。
20年にわたって野生の華南虎を目撃した人はいない。陝西省林業庁の発表したニュースはメディアが先を争って報道し、世界でも最も権威のある科学雑誌『サイエンス』は、華南虎の写真も掲載した。
それに対して疑問を唱える声があがった。2007年10月19日、中国科学院植物研究所の首席研究員傅徳志は、写真は偽物であることに自分の首をかけると、豪言した。
2008年4月3日、陝西省公安庁は安康市の公安機関と協力して調査を開始し、真相が明らかになった。実地調査によれば、写真の撮影場所は相対的に狭く、地面には雑草が多く茂り、周辺に高い樹木はなく、生きた虎が隠れたり、それを撮影したりする条件を具えていなかった。「虎」と定点の間の距離の比例によって算出された「華南虎」は、長さ約27センチ、幅約35センチであり、カメラと写真の分析により、周正竜が「華南虎」を撮影した時の最も近い距離は約3.9メートル、最も遠い距離は約10.5メートルであった。
周正竜:「私は平凡な農民なので、高度な技は使えない」
2006年、陝西省華南虎調査隊のガイドをしていた周正竜は、華南虎の足跡、糞便、毛などの写真を撮ったら、何千元~何万元の賞金をもらえることを耳にした。生きた野生華南虎の写真を取ったら100万元以上の賞金をもらえることを聞いたその瞬間、彼は決心した。彼はすぐ数人の村人に頼み、一枚の虎の絵を探し出した。彼は絵を折畳み、絵以外の部分をテープで裏に張りつけ、それを芝生の上に置いて、2回インスタントカメラで撮影した。しかし、画質が悪く、偽の虎を作ることができなかった。その後に、彼はまた「キャノン」のデジタルカメラと「長城」のフィルムカメラを借りてきた。長いこと捜してようやく、森林区の平坦な雑草や低木が群生する場所をみつけ、虎の撮影場所とした。虎の絵を小さな木の前に置き、木の葉で絵の縁を覆い、2台のカメラでいわゆる「華南虎」の写真を取った。
最終的に、周正竜は懲役2年6カ月、執行猶予3年の判決を受けた。