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最も人々を苦悶させるスポーツ、それは中国サッカー
2008年、本来ならば中国サッカーが意気揚揚としていたはずの年である。
しかし、中国男子ナショナルチーム、中国オリンピックチーム、中国青年サッカーチーム、中国少年サッカーチームが相次いで国際・大陸間の試合に破れ、その上、かつて「リズミカルなバラ」と呼ばれた強豪中国女子サッカーチームと中国青年女子サッカーチームも敗れて、趙本山(中国の有名なコメディアン)が中国中央テレビ局の春節連歓晩会で言った冗談が現実のものとなってしまった。「最も人々を苦悶させるスポーツは何か?」その答えは中国サッカーである。
しかし依然として中国人はサッカーが好きだ。中国サッカーは相変わらずサッカーファンを苦悶させている。
2008年、中国国内リーグ戦で繰り広げられた「再編成事件」、「退場事件」などの一連のスキャンダルは、中国サッカーのプロリーグ戦の未来を痛めつけている。ここ一、二年のナショナルチームは世界レベルの試合に参加するチャンスすらない遺憾な事態に直面しており、中国サッカーは臥薪嘗胆、変革の時代を迎えている。
謝亜竜「サッカーファンが私に退任を求めるのも愛の鞭」
2008年、中国サッカーの壊滅的敗北に対し、中国サッカー協会の謝亜竜常務副主席は反省を見せるべきだと、「謝亜竜よ、退任せよ」という声が「鳥の巣」に響き渡り、ネット上にも「謝亜竜打倒メッセージ」が多数書き込まれた。
謝亜竜に対する多くの非難の中で、サッカー協会の第一人者がサッカーの門外漢だということについての非難が最も多い。
謝亜竜が中国サッカーのトップであった4年間、中国男子サッカーチーム、中国女子サッカーチームはメインコーチを10人以上交替させた。2007年の惨敗の際に、謝亜竜はやはり幻想を抱いて、2008年の大博打を準備した。結局、中国男子サッカーチームはワールドカップ予選に完敗、オリンピック大会でも出場権を取れず、中国女子サッカーチームも4強入りできなかった。中国サッカーは谷底まで落ちてしまった。オリンピック後、謝亜竜は家で休息中で、彼に対する具体的な処分はサッカー協会が12月に開催されるサッカー協会代表大会において決定されるということである。
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陳雲林・江丙坤が台湾で初の会談
2008年11月4日午後2時、台北市の園山大飯店の内部は照明がこうこうと点り、そのなかで海峡両岸関係協会の陳雲林会長と台湾海峡交流基金会の江丙坤理事長が、四項目の協議に調印した。
その協議は、両岸をむすぶ双方の航空直行便の便数を増やし、チャーター便を通常運行化し、直行貨物チャーター便を開通させ、両岸の主な港を開放して直航航路を開通させる。さらに郵便物の直接往来を実現し、重大食品安全事件の共同処理システムを確立し、「同胞のために福祉や平和を図る」ものである。
陳雲林:「互いの利益を求めて対岸へ」
2008年11月3日午前11時58分。歴史がその時を刻み込んだ。
陳雲林が率いる海協会(海峡両岸関係協会)協商代表団は台湾の土を踏んだ。今回の訪問は1949年以来、大陸側が派遣した最高責任者による初の台湾訪問で、大陸初の台湾へ派遣された協商代表団である。
「神舟七号」:宇宙での中国人の足跡
2008年9月25日午後9時10分、炎がロケット底部から噴出し、「神舟七号」を搭載したロケットは順調に上空に昇り、加速して飛行していった。まぶしい金色の光が大空を引き裂いた。「神舟七号」は星のように青い天幕の中に消えてなくなった。
9月27日午後4時41分、翟志剛は「神舟七号」有人宇宙船の軌道モジュールのドアを開けて、初の宇宙遊泳を成し遂げ、初めて中国人の足跡を茫々たる宇宙に残した。ここに中国は、世界で3番目の宇宙遊泳技術をもつ国となったのである。
翟志剛:「宇宙遊泳は素敵な体験だった」
2008年9月27日午後4時41分、中国が研究製造した「飛天」船外宇宙服を着た翟志剛は船外に出て、中国初の船外活動任務を遂行した。
翟志剛は宇宙船の船外にある手すりをつかんで、ゆっくりと体の向きを変えた。彼は頭部を船体にぴったりと付け、体は宇宙を上下に漂っている。彼は何度も逆立ちをした。
翟志剛は劉伯明から国旗を受け取った。黒い宇宙と青い地球をバックに、五星紅旗は徐々に開き、はためいた。翟志剛は宇宙船の壁に置かれた科学試験サンプルを取り外し、船内に戻した。それからゆっくりと宇宙遊泳を続けた。
午後5時、翟志剛は無事、帰還モジュールに戻って、ドアを閉めた。そのとき、宇宙船は秒速7.8キロのスピードで地球から343キロの宇宙を高速で進んでいた。翟志剛は9165キロを飛行したことになる。