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民主の光に照らされて
――チベット族の幸福指数の50年にわたる変化
文/唐 濤 写真編集/段 崴 呉 亮

ソフトとハード

 シガツェ市の西のゴンジェリン住宅区に住んでいるヤンジンは、最近に家の建て直しに忙しい。昼も近くなり、休みの時間となった。ヤンジンは手伝いをしてくれた人々にバター茶をご馳走する準備のために、鉄の桶を下げて外に出た。据え付けたばかりの水道の蛇口が家の前にあり、水道管に巻きつけてある白いハタが、喜びを表すかのように風にそよいでいた。

「昔は、水を汲むために、通りにある蛇口に列を作って待たなければならなかった。家を建てるなんて論外で、飲み水でさえ手に入れるのは大変だった」とヤンジンは流れる水道水を見ながら、回想した。「いまは各家に水道があります。これは、共産党のおかげ、上海市民のおかげです。」

 前世紀末に、当時のチベット援助の62のプロジェクトの一つとして、上海市は毎日2万トンを給水できるシガツェの給排水工事を請負った。それにより、チベットで二番目に大きい都市シガツェ市の給水と汚水排出の問題を解決し、地元の8万人の市民に利便をもたらしたばかりでなく、この都市の未来の発展に充分な発展の余地を提供した。19958月にこの工事が完成し、正式に水が供給されたとき、人々は歌ったり踊ったりして嬉しさと感謝の気持ちを表した。その日は、すべてのシガツェ市民の盛大な祭日となった。

 チベット高原に幸せをもたらした工事は、それだけにとどまらない。民主改革以降の半世紀に、チベットの極めて立ち遅れた社会経済状況を改善し、チベットの自主発展力と継続的発展力をつけるために、中央と自治区政府は相次いで政策を打ち出した。人的資源・物的資源・財政など各方面からチベットに巨大な援助を与え、エネルギー・交通・通信などのインフラ施設建設にもさらに力を入れた。人員・資金・物資が内地からチベットへどんどん運ばれ、地元の人々と共にチベット社会の進歩を推し進める強大な原動力となった。文明進歩の足音は、千年にわたる静寂をやぶり、世界の屋根に響き渡ったのだ。

 1950年代のチベットの工業基礎がなく、わずかな手工業と農・牧畜業しかない状況に対して毛沢東主席は、「チベットを食い物にせずそこに進軍する」、「すべての仕事は慎重に推し進めなければならない」という方針を打ち出した。中央政府と全国による支持のもと、1950年代から、チベットは自前の現代的工業、交通施設のひな形を持ち始めた。

 改革開放ののちも中央政府は終始、中国の西部とくにチベット地区をともに発展させ豊かにすることを重視してきた。1980年代から今まで、中央政府は4回にわたってチベット業務会議を開き、チベットの至るところに及ぶ222項目の重点プロジェクトを決定した。それは、エネルギー・交通・郵便などのインフラ施設や工業・農業・水利・文化教育・医療保健など人々の日常生活に関連する各分野に利益をもたらす工事である。特に新しい世紀に入ったのちのチベット自治区の「第11次五カ年計画」は、総投資額1000億元に上る180のプロジェクトである。安定して増えてゆく固定資産投資は、重点プロジェクト工事の実施を強力に推し進め、チベットの物的基礎と総合的な経済実力を著しく増強した。

 ハード面の完備のほかにも、ソフト面の整備も大きな成功を収めた。チベット医学は民族文化における輝かしい宝であり、チベットの人々の健康のために傑出した貢献をした。早くも8世紀頃、チベットのコンブマイロ地区に、チベット史上初のチベット医学院が設立され、数千人のチベット医学の専門家を養成し、伝統的なチベット医学の発展を大いに推進した。それから千年もの間、チベットの医・薬学教育はいくたびもの盛衰を繰り返した。前世紀の中葉には、ラサなどに3カ所の診療所があるのみで、それも貴族や上層僧侶のための百人も足らずの小さな官営の医療機構にすぎなかった。

 チベットの民主改革が行われた1959年以降、中央政府の援助のもとで、伝統的なチベット医学は復興し始め、さまざまな規模のチベット病院・医学院がチベットや内地にぞくぞくと設立された。1989年、チベット大学チベット医学部とチベット医学学校を基礎に、高級チベット医薬学人材を養成する西蔵自治区医学院が設立され、国内ないし世界で規模がもっとも大きいチベット医学専門の大学となった。

 チベット医学の復興は、チベットの社会進歩の縮図である。民主改革以後の50年間、医療衛生、教育文化、住宅事情、就職など人々が注目する各方面の民生問題は、終始政府に重要視されている。

 チベットではすでに幼児教育、中小学校義務教育、中等教育、高等教育と職業教育、成人教育、通信教育と養護教育などを含めた完全な現代教育システムが形成されている。ここ半世紀もの間、政府はチベット人がチベット語とチベット文字を使用する権利を保障することを非常に重視している。チベット自治区では一連の条例が公布され、チベットの学校でチベット語を主とした漢語とのバイリンガル授業について規定し、チベット語・文字の学習と使用・発展に、確かな法律的保障を与えている。現在、すべての農・牧畜区と一部の都市の小学校で、チベット語・漢語のバイリンガル教育が実施されており、主な課程はチベット語で授業されている。中学校も、チベット語と漢語のバイリンガルで授業をし、内地にあるチベット中学校にもチベット語の授業が設けられている。大学と中等専門学校の入学試験には、チベット語という試験科目があり、成績は総得点に加算される。チベット語はチベットでいまだかつてないほど普及している。

 チベット語と漢語のバイリンガル教育が全面的に推し進められているため、ほとんどのチベット族の学生は、流暢なチベット語と漢語を話すことができる。現在、チベット族の学生は、親の世代と同様に情熱的で素朴で、かつ親世代がもたなかった広い視野と生き生きとした思考力を持っている。これは、迅速に発展している現代教育のおかげであろう。

 改革開放ののち、国家は北京、上海、成都、重慶などの内地にチベット学校を設けて、より多くの農・牧畜民の子どもに環境がよい内地の都市で教育を受けさせている。政府は農・牧畜民の子どもに義務教育の経費補助を行っており、彼らは充分に義務教育の権利を享受している。現在、その補助の基準は、毎年小学生1200元、中学生1350元である。現代的な教育によって、チベットの子どもは飛翔するための翼を与えられ、より広い大空に自由に飛ぶことができるようになった。

 科学技術分野でも、国は多くの政策・法規を制定したり、大量の資金を投入したりして、チベットの科学技術の発展を促進している。宇宙放射線観測、高地大気研究、青海・チベット高原の深層地質探測、土石流など地質災害の予防、地熱やソーラーエネルギーなどのクリーンエネルギー源の開発と利用、高地医学研究などの領域で、自治区の科学研究成果は著しい。全国ないし世界のトップレベルの成果をおさめている研究もある。

 民主改革から50年、チベットは教育、科学技術、衛生、文化事業に絶えず力を注いできた。現在、識字率は百パーセントに達している。農・牧畜民に支給する医療経費は、一人当たり140元まで引き上げられ、平均寿命も1950年代の35.5歳から67歳まで上った。民生にかかわる各種の社会事業は、人間本位に進められており、調和のとれたチベットの将来図が徐々に完成されつつある。

経済発展と環境保護

 高い連山に囲まれているチベット。この閉鎖的な地理条件によって、交通・通信が阻害され、長期にわたってチベットの社会発展と生産力のレベルは低く、科学技術系の人材にも極めて欠乏していた。チベット民主改革後、政府が真っ先に直面した試練は、この極端な貧困であった。貧困から抜け出すのが政府の究極の目標となった。

 中国の改革開放の歩みとともに、自治区は貧困扶助指導グループを設立し、一部の生産発展が遅れた農・牧畜民に対して「集団の力によって、おもに自らの生産で、必要な場合には国家が救済を与える」援助政策を実施した。この援助の方法は主に救済金、救済穀物を支給することである。1980年代に入ると、中央政府はチベット農・牧畜民に特殊な優遇政策を実施した。それは、農牧業の税金や農産物の価額制限を撤廃し、農・牧畜民の生産の積極性を引き出すものである。1984年、自治区は補助対象、項目、資金、効果を定めた貧困援助方策を実施し、それは600以上の郷・鎮をカバーした。

 長期にわたる努力を経たのちの19965月、チベットのコンブジャンダ県が、自治区の18の貧困県の中で初めて貧困から抜け出した。1990年代末には、チベットは貧困扶助計画を前倒しで完了させたと宣言し、自治区は史上初めて衣食が満ち足りる時代を迎えたのである。

 民主改革から50年の間、チベット自治区は社会の公平を維持し、民生に関わる問題の解決に努め、市民と農民の生活レベルを著しく向上させた。チベットの人々の生活は、質的な変化をとげた。中国チベット学研究センター社会経済研究所タンツアァンロンジュ副所長は、以下のデータを提供してくれた。チベットの農・牧畜民は民主改革以前にほとんど収入がなかった。1978年までに、一人当たりの年収は175元となった。1985年の年収は初めて500元台となり、1997年に1000元台を突破した。2005年に、一躍2000元台におどり出て、2007年には2788元に達した。2008年、全区の農・牧畜民一人当たりの年収は、引き続き2桁台の増加率を保ち、年間平均増加率は12.9%という高水準にある。

 ラサの街をそぞろ歩いて、この世界でもっとも海抜の高いところでも、便利で快適なモダンライフが楽しめることに気づいた。2007年末までに、登録されたマイカーの保有量は、ラサだけでも5万輌近くになる。市民一人当たりの居住面積は32.7平方メートルに達した。建物の建材は、従来の土と木から石と木にレベルアップした。数多くの建設会社がチベットに目を向けるようになり、さまざまなグレードの住宅団地が雨後のタケノコのように建ち並んだ。チベット市民の日用品の消費は、実用型から現代化・高級化され、携帯・カラーテレビ・洗濯機・冷蔵庫などの家電製品がすでに広く普及している。

 喜ぶべきことは、チベットの発展が環境の破壊を代価にしていないことだ。チベットの伝統文化は自然を崇拝し、環境保護を重んじている。民主改革ののち、自治区の関係部門は時代の歩みに従い、経済の飛躍的な発展を図ると同時に、いかに生態環境を保護するかについての模索を怠らなかった。チベット自治区環境保護局のある役員は、「チベットは世界でもっとも美しい青空を持つからといって、環境保護を怠ってはならず、環境汚染を代価に経済を発展させるという古い道を辿ってはいけません」と語る。自治区共産党委員会、人民代表会議と政府は、森林保護や野生動物保護に関する数十項の地方条例と行政制度を打ち立てた。さらに1990年に、チベット環境保護委員会を設立し、環境保護立法の効果的な実施を後押しさせている。このほか、国家の投資で、チベットに最新の観測機器を持つ自治区環境観測ステーションを建て、全区をカバーする環境観測ネットワークを形成しつつある。

 独特な地質構造によって、チベットの地熱資源は豊かである。現在、全区に散在する水力発電所と有名なヤンバジェン地熱発電所は、昼夜をわかたずクリーンなエネルギーを家々に送っている。「陽光プラン」などの計画が実行されているチベットでは、太陽エネルギーの利用は、国内でもトップレベルにある。

 現代的な環境観測と環境評価を効果的に実施し、環境立法を整え、夥しい人力と物力を投入しているため、現在チベットには広々とした森林があり、わが国でもっとも森林資源が豊かな省・区の一つである。森林の被覆率は11.31%に達する。野生動物の種類・頭数は全国でも第3位にある。湿地面積は広く、その九割は完全な状態を保っている。8000万ヘクタールの牧場と20万ヘクタールの耕地は、工業汚染を受けておらず、高原に散在する1600の湖沼はいずれも原始の状態をとどめている。工場が集中し、人口が密集するラサでも、中国では汚染がもっとも軽く、環境の質がもっともよい自治区の首都である。チベットのほとんどの河川は自然状態を保っており、いままで環境汚染に直面したことがないのが、チベットの環境保護専門家の誇りである。数十年というもの、チベットは経済発展と環境保護の両面において大きな成果を収めてきたのである。

宗教信仰と伝統文化

 毎年冬の農閑期になると、数え切れないほどの仏教信者が三々五々、歩いたりバスに乗ったりして、聖地巡礼のためにラサに向う。1年の労働をおえた信徒たちが、新年を迎える前にやらなければならないことは、盛装して聖地ラサに巡礼することである。

 ゆるやかに線香の煙がたちのぼり、読経の声が響くなかで、信徒たちは五体投地したり、手でマニ車を回したり、合掌したりして恭しく仏に祈りを捧げる。街ですれ違った人々は歩きながら念仏を唱え、その顔には仏に対する信仰の念が刻み込まれている。その澄み切った両目は、生命への尊重と美しい未来に対する憧憬に満ち溢れている。

 人々の信仰に応えるために、1980年代から、中央政府とチベット地方政府は総計7億元あまりを投資して、夥しい量の金銀を使って多くの仏教寺院の補修工事を行った。同時に、仏教寺院と文化財・旧跡を適切に保護し、ポタラ宮、チョカン寺、レプン寺、セラ寺、ガンデン寺、タシルンポ寺、サキャ寺など数多くの宗教施設を全国と自治区の保護文化財として登録した。寺院の壁画、彫刻、彫塑像、タンカ、経典、法器、仏壇などは保護・補修されており、夥しい数にのぼる宗教文献や典籍は、応急保護措置が採られ、整理・出版されている。

 現在、チベット自治区と7カ所の地区・市に仏教協会が設立されている。中国仏教協会チベット分会の下にはチベット仏教学院、チベット語経文印刷院があり、チベット語刊行物『チベット仏教』も出版されている。国はチベット仏教の高級人材を専門に養成する中国高級仏教学院を創立し、100人あまりの高僧がそこで学んでいる。寺院での経典学習、受戒、灌頂、修行などの伝統的な宗教活動も正常に行われている。活仏の転生は、チベット仏教特有の伝承方式として国による尊重を受け、すでに40人あまりの新しく転生した活仏が、宗教的・歴史的なしきたりによって認定を受けた。

 民主改革前と比べると、現在のチベットの宗教活動内容はより豊富・多彩になった。チベット自治区は、次々に40以上の宗教的祭日を復活させた。信徒たちは毎年、自由に各種の宗教行事に参加している。チベットのいたる所に経文が書かれた幟やマニ石が見られる。信徒たちの家には念仏堂や仏壇が設けられており、そこで念仏を唱えたり、仏を拝んだり、寺院から僧・尼僧を招いて法事を行ったりしている。

 チベットの数多くの無形文化遺産の保護も、同様に政府の議事日程に入れられている。1970年代に、チベット自治区と各地区・市は、民族文化遺産の緊急保護や整理を行い、研究のための専門的機構を設立し、全区の民間文化芸術遺産に対して、全面的な調査を行った。民間に流布する地方劇、舞踊、音楽、曲芸、民謡、諺、物語などの口頭民間芸術を集めて、整理・研究をし、3000万字のチベット語と漢語資料を採集し、1000点のチベット伝統文化の論文を発表し、30部あまりの文学芸術の専門著作を出版した。2003年以降、中央人民政府とチベット自治区人民政府は、無形文化遺産を保護するプロジェクトをスタートさせ、全区の無形文化遺産についてより広い範囲でより詳しい調査を行い、伝承断絶に瀕している文化遺産に対して効果的な保護措置を取った。

 歴史文化を充分に重んじている現在のチベットはまた、現代的な便利なライフスタイルを全面的に受け入れている。ラサ市にあるバルコル街は、チョカン寺を中心とする長さ1500メートルにわたる環状の地域で、チベットでももっとも古い市街である。極彩色の幟がたなびく法輪柱や一日中線香の煙が絶えない仏塔のそばに、数百軒の商店と千にも上る露店がすらりと並んでいる。地元、内地またはインドやネパールから運ばれた各種の品物、日用品から宗教用品まで、新しいアクセサリーから価値ある芸術品まで勢ぞろいし、民族色濃い品物が人々の目を喜ばせる。

 商品経済という大波の洗礼を受け、バルコル街の商人たちの定価販売という伝統的な販売方式にも変化が現れた。彼らはさまざまな言語を操って買い物客と値段の交渉をするようになったのである。ここでは、チベット族、回族、漢族の商人、南アジアからの商人の売り声と寺院の読経の声とが混じりあい、一日中絶えることなく響きわたっている。

 ここ数年、青海チベット鉄道の開通によって、チベットと外界との繋がりがより密接に便利になった。多くの内地と外国からの観光客が、バルコルの雑多な人の波を織り成す。カメラとマニ車、ジーンズと僧侶の袈裟がここでは混じり合っている。はるばるやってきた参詣客、皮膚の色が違う観光客、合掌して歩く赤い服の僧侶、呼び売りする行商人が街中を賑わせている。街中で押し合いへし合いして、各自の言葉を操る各族各国の人々が、今日のバルコル街の繁栄を作り上げているのだ。

 輪廻を象徴する環状のバルコル街は、仏の国と人間界とを繋ぎ、これらがともに現代チベットを作り上げているのである。

 

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