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次に、いわゆる「本当の自治」が問題になります。チベット自治区の成立からすでに50年あまりが経ち、自治区政府の責任者、人民代表大会の主任から郷長まで、六割の各クラスの公務員が地元チベット族の出身です。これを本当の自治でないと否定することで、「本当の自治」とは何かという問題を論議することができます。しかし、この事実を否定することによって、大多数のチベット人公務員の利益を否定することになります。これは、実現不可能なことです。
島津洋一:ダライ・ラマが「大チベット区」を提出したきっかけは、第13代ダライ・ラマが自分を継ぐダライ・ラマは、青海に転生すると言ったことにあります。第13代ダライ・ラマは、イギリス・インド連合軍がチベットに侵入しラサを占領した時、チベットから逃れました。1903年から1905年まで、彼は青海に住んでいました。なぜ青海か? これは、チベット仏教の『時倫経』の古い預言がその理由です。インドから侵入した敵は、仏教を絶滅させるという。そこで、ダライ・ラマは青海のもっとも辺鄙なところに退き、アジアのすべての仏教の力を団結して、「最後の戦い」を行い、侵略者に反撃しようとしました。その時、第13代ダライ・ラマは、日本外務省の一人のスパイに会いました。当時の日本とイギリスは同盟関係にあったので、日本は、第13代ダライ・ラマとイギリスとの協商締結を助け、イギリス・インド連合軍はチベット占領を止め、ダライ・ラマはラサに戻りました。そしてチベットは徐々にイギリス・インド政府のコントロール下におかれる一つの「保護国」となったのです。
ダライ・ラマが「大チベット区」設立を強調する理由は、青海で寓話のなかのトーチカを造り上げようとしているに過ぎないと私は認識しています。現実と寓話との間には、大きな距離があります。われわれは、さらに歴史を全面的に理解し、その歴史が実際どのような状況にあったのかを詳しく探求、研究してゆかなければなりません。
李希光:今日の討論によって、チベット自身が問題なのではなく、東と西の学界やメディア界の歴史・文化についての認識の差が問題であることを、われわれは発見しました。今回の討議は、すばらしい異文化交流となりました。異なった観点を持つ人々の討論こそ、価値があるものです。今日、みなさまが必ずしも一致しない意見を発表していただきまして、とても嬉しく思います。ありがとうございました。