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2002年12月3日、北京時間22時15分、モナコのモンテカルロで行われた博覧会国際事務局の第132回代表会議において、中国は54票、88%の得票率で2010年の世界万博の主催権を獲得した。









万博は一般的な展覧会とは違い、その重点は主に展示にあり、ふつう行われる貿易を目的としたものとは異なる。もし一般の展覧会が商品を展示するものならば、万博が展示するものは理念である。1851年第一回ロンドン万博からはじまって、この定期的にさまざまな国で開催される総合的な展覧会は、展示参加国が自らの社会・経済・科学技術・文化の成果を見せる舞台となり、人類の文明が成し遂げた成果の全面展覧を行う場所へと進化している。1世紀半あまりの間に、その形式と内容はたえず豊富に深くなっており、人類が推し進める進歩と文明発展の理想の姿を伝え、人類の美しい未来への憧憬と追求を重ねあわせ、人類の成功、精神の啓発、知恵の集大成、夢の創造、文明を押し進める定期的な交流と展示の場へとなっていっている。
中国と万博の縁は万国博覧会誕生のときまで遡る。1851年、上海の商人徐栄村が「栄記の生糸」を携えて初回の万博に参加し、1904年、中国は初めて正式にセントルイス万博に参加、1982年、新中国政府が初めてノックスビル万博に参加、2010年、上海が万博主催都市に……。万博と中国との関係は、中国で開かれる万博に至るまで1世紀半余りの長きにわたっており、中国政府や民間の商人がグループで参与し、展示物を寄せる、見学者を派遣する、そして万博を主催するなどの方式によって歴代の万博に参与し、見守ってきた。これと同時に万博は100年にわたって、中国の国力や民族の自信を感じ取り、それを見守ってきた。
万博を振り返ると、中国はよろよろとした不確実な歩みで進んできた。しかし、未来を展望すると、中国の意気は十分で、確実でゆるぎがない。2010年の上海は今後100年の万博のホームグランドとなるであろう。
都市の精彩を放つ上海万博
2009年3月の上海は、いつものように杏の花が春雨のなかに美しく咲いていた。例年と異なることは、2010万博のシンボルマークやマスコット、宣伝物が街のところどころにあることで、これらはこの東方の大都市、上海の風格にさらい新しい色彩と期待を添えている。
2010年5月1日に開かれる万博のために、いま、上海はまさにその歩みを速め、一年後に見せる晴れ姿のために力を蓄えているのである。
注目される万博テーマ
その実、上海万博の華やかなシナリオは10年前からすでに書き始められていた。1999年前半から2000年末まで、中国の万博申請担当者は1年半の年月をかけ、仔細に検討し、とうとう万博のテーマを「よりよい都市、よりよい生活」と定めた。このオリジナリティーのあるテーマは歴代の万博と一線を画し、国際社会で輝きを放ち、上海万博初の注目点となったのである。
2010年の万博は1933年のシカゴ万博と同じように、世界経済が不況に陥っている時期に行われる。また、1933年から毎回の万博に明確なテーマが設けられるようになった。歴代の万博のテーマは大きく三種類にわけることができる。ひとつは人類の自然征服を示すもので、人類の科学技術の発展の成果を示すもの、もうひとつは、人類の平和に重きを置くもので、科学技術の進歩の礼賛だけに留まらないもの、さいごに、人と自然との関係に注目するもので、環境・汚染・エネルギーなどの方面に焦点をあてるものである。それぞれに異なるテーマをめぐり、検討し、展示すると同時に、国ごとにさまざまな科学技術の成果と多元的な文化を展示し、人類の未来の発展への道をさぐり、顧みるのである。
新しい世紀に入り、全世界の半分が都市の住民となるのにしたがって、都市に関するテーマはますます人類に共通する関心事となってゆく。どのように効果的・集約的に資源を使うかを考えると同時に、よりよい都市生活を作りあげてゆかねばならない。人類が必ず直面し答えを出さねばならぬこの命題を、中国は鋭く捉え、テーマ選抜、テーマ解釈、テーマ実践の段階をへて、万博史上初めて唱えられたテーマとなったのである。
上海万博の主催権獲得には、中国自身の魅力と吸引力だけでなく、独創的なこの万博テーマが世界の共感を呼んで、最終的な申請成功に有利に働いたことは間違いない、と上海万博事務局の担当者は語る。中国は上海万博のテーマ「よりよい都市、よりよい生活」が3.28平方キロメートルの万博ゾーンだけでなく、さらに広く万博ゾーン以外にも広がることを期待している。
万博ゾーンの計画面積は5.28平方キロメートルだが、ゾーンは黄浦江の両岸にまたがっていて、そのなかでも観光客が入場券によって入ることのできる地域の面積は3.28平方キロメートルであり、それは上海の盧湾区の面積に相当する。このなかには上海第三鋼鉄工場と近代中国民族工業のゆりかごと言われた江南造船工場というふたつの大きな工場の跡地をふくむ。近年の上海の都市建設の発展により、万博申請当時はまだ都市の周辺にあったこの2つの工業基地は日増しに中心地区に接近してゆき、今度の万博のために別の土地へと移転した。このふたつの工場は技術革新とアップグレードをはたし、大きな生産と発展の余地を得ただけでなく、上海の工業汚染の軽減にも効果をもたらした。
この区域に住んでいた1万8000戸の住民もまた移転した。彼らは大部分が1970年代80年代に建てられたレンガと木で作られた簡易住宅に住んでいた。このたびの万博ゾーンの建設により、政府が現金で移転保障金を与え、さらに浦江万博家園などの居住区を建設して、そこに市民を移し、市民の居住条件も徹底的に改善された。「万博による住民の移転でまず、よりよい都市、よりよい生活というテーマを感じることができました」と、ある上海市民は感心して語った。