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世界に向う強大な中国海軍
「世界一周の旅をしたかったら、海軍に入ろう!」。昔、多くの若者が、こういったロマンチックな夢を抱いて海軍に入った。しかし、その多くは退役するまで公海に出ることすらできなかった。
30年を経た1980年、18隻の護衛艦、測量船、補給艦からなる大型艦隊が、初めて中国の領海を出て、島嶼部を経由して太平洋に入った。
これは、中国人民海軍が、南太平洋の予定海域に搭載ミサイルを発射するために派遣した特別混合艦隊である。今回の遠洋航海は、東西経緯50度、4つの時間帯を経て8000カイリにおよんだ。
このときの太平洋への航行では、中国の艦隊は、途中いかなる港にも寄港しなかった。中国が自力で開発した遠洋総合補給艦は、艦艇に58回にもわたる海上補給を行った。毎回の補給の際に、外国の飛行機が観察や撮影のため、艦艇まで飛んできた。これらの写真を分析した外国の海軍関係者は、中国海軍はすでに遠洋補給の難問を解決し、遠洋航行能力を備えていると評価した。
このときから、広々とした太平洋に中国海軍は新たな航跡を残し始めた。
1956年6月20日、旧ソ連太平洋艦隊が初めての中国訪問を行い、中国海軍艦隊のソ連訪問を要請した。しかし、中国海軍を悩ませたのは、海軍艦隊には旧ソ連から導入した駆逐艦と国民党時代の古い艦艇しかなく、中国が自力で設計・建造した軍艦は一隻もなかったことで、艦隊の出航訪問は美しい夢に終わった。
数十年間、待ちに待った末、中国海軍はとうとう1985年にその夢を果たした。
1985年11月16日から1986年1月19日まで、駆逐艦「合肥号」と遠洋総合補給艦「豊艙号」からなる艦隊が、初めてパキスタンのカラチ港、スリランカのコロンボ港、バングラディシュのチッタゴン港を訪問した。これは、中国の海軍艦隊の初めての外国訪問であった。これらの南アジアの国々を去るとき、中国艦隊を見送るため、地元の多くの華僑が車のクラクションを鳴らし続け、子ども連れの婦人たちは埠頭で手を振って名残りを惜しんでくれた。
続けて中国海軍は、31回にわたって約40カ国を訪問し、中国軍艦の足跡は五大陸、3大洋にまで及んだ。
――1997年12月、駆逐艦「ハルピン」号と「珠海」号・総合補給艦「南倉」号は、太平洋を越え、初めてアメリカ大陸にあるアメリカ、メキシコ、ペルー、チリを訪問し、最初の環太平洋航行を果たした。
――2007年7月、ミサイル駆逐艦「深圳」号と総合補給艦「南倉」号は、初めてインド洋を横断し、喜望峰を経由して、アフリカ大陸のタンザニアと南アフリカを訪れた。
――2001年8月、ミサイル駆逐艦「深圳」号と総合補給艦「南倉」号は、初めてヨーロッパ大陸のドイツ、イギリス、フランス、イタリアを訪問した。
2002年5月20日、ミサイル駆逐艦「青島」号と総合補給艦「太倉」号は、初めて4カ月にもわたる総航程3万カイリに上る世界一周航海に青島から出航し、中国海軍艦艇の海上航行時間がもっとも長く、訪問国家がもっとも多く、航程がもっとも長く、経由した海域と港がもっとも多い航海記録をつくり出した。
このときの世界一周航海は、士官と兵士の意志と忍耐力を鍛えることになった。艦艇内部の温度は50度にもなり、赤道付近の海域では甲板の温度が耐え難いまでにあがり、硬い靴底も柔らかくなるくらいに熱くなった。ある兵士が、デッキでタマゴを割って2、3回引っ繰り返すと、タマゴ焼きができあがった。士官と兵士たちは、このような高温の環境のなかで作業し、一日8、9時間も働いた。デッキから下の休憩室に入ると、体じゅうに水泡ができていて、服には白い汗の跡がたくさんこびりついていた。