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肩のうえの舞台
文と写真  文 萍

 

 

30分の上演ごとに一回一休みする。

 

河南省洛陽市嵩県旧県鎮西店村にある農家。老人が出演する孫のためにからくりをつける。

10歳のおとなしい秦玉昆はすでに3度目の上閣である。一年中忙しい村人たちは自分の家の子供が上閣に選ばれるのを願っている。

上演前の秦玉昆と彼の仲間。

オリジナルの背閣の味

1877年から1980年代にかけて、祝日やめでたい事があるたびに、西店村の村人は背閣を行ってきた。出演者に手当てはでないが、無料で食事が提供される。西店村には17の村人組があり、1949年から現在に至るまで、8つの村人組が代々背閣を行ってきた。

背閣の継承者である李装奇はかじ屋出身で、上演前に、まず火の神を祭る。地元の習慣では、出し物を行う前にはいつも出演者たちはみんなで近くにある火神廟の跡に行って「出閣」儀式を行う。儀式では爆竹やドラを鳴らし、上演の無事を祈る。そのため、上演グループは当初「火神社」とも呼ばれた。今や「火神社」の子孫たちは8つの村人組に散在している。

背閣は男性だけに伝え、女性には伝えない。自分の一族以外の名前を持つ人に伝えるのを恐れるためである。西店村では、女性たちも行列には参加するが、その肝心な中節の制作技術は数少ない重要な人しか知らない。

交通が不便であったため、ずっと背閣の上演は地元でしか行えなかった。改革開放後の1983年、背閣は早くも周辺の村に流行り始めた。1984年、背閣は初めて嵩県の県都で披露され、センセーションを巻き起こした。2001年、旧県鎮西店村の背閣の上演グループは初めて正式の名称、白雲芸術団を得た。その当時、河南省の洛陽で牡丹展示即売会が開催され、それにあわせて民俗博物館が開催した民俗文化縁日で、この背閣が外界に向けて初めて披露された。

こうして旧県の背閣は洛陽での上演を始めた。上演のたびに超満員となり、ますます多くの人に注目されるようになった。

伝承と発展                           

2003年末、西店村の人々は背閣の上演の難度を上げることを決めた。出演者は高足踊り(竹馬をはいて踊る踊り)と同時に背閣を披露することにしたのだ。高足踊りと背閣をそれぞれ別に行うのは難しくないが、両方ともやるのはとても難しい。練習ではしばしば転び、怪我をして何日も立てない人さえいた。しかし、彼らは歯を食いしばり、傷が治るとすぐ練習を始めた。数カ月にもわたる猛特訓の結果、彼らは高足踊りと同時に背閣を行うことに成功した。

2006年、西店村の人々はもう一つの大胆な決定を下した。120年あまりも踏襲されてきた習慣を変え、女性に下閣を担当させることにしたのだ。

40歳の金会芳が最初の女性の担当者となった。彼女は以前は楽隊のメンバーで、下閣をやりたいなどとは思いもしなかったが、そのうちにその影響を受けたか、20日の練習で、子供が乗っかる上閣を操る技をマスターした。こうして金会芳を含んだ4人の女性が下閣の出演者となったのである。

ところが、伝統的な背閣の出演者は今や難問に直面している。背閣をする人は上演中、子供を含めて50キロ以上の重さを支えることになる。しかも、力仕事のわりに得るものはすくなく、現在の若者はもうそれに我慢できなくなり、背閣をする人がどんどん減っていったのだ。衣装や道具などを新しくするのも、経費の上で苦しくなった。   

今日、背閣は単純な祭祀活動から民間の娯楽活動にまで変化してきた。毎年、子供が乗っかる背閣を背負って山を一回りすることで心が落ち着くと、十数年の経験を持つベテランは語っている。

 

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