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1500年前のクンルン山脈の麓、タクラマカン砂漠の南端で、1本の巨大なハコヤナギの木が突風に倒され、その茂った枝がちょうど小さい寺を覆い隠した。毎日風に吹かれ砂が堆積し、倒れた枯れ木の周りに小さな砂丘をつくった。そのうち、小さな寺はまったく見えなくなり、ギョリュウなどの砂漠の植物がここで根を下ろした。2000年3月、羊飼いの男の子が、砂に埋もれた仏像の頭を偶然見つけ、この千年の眠りについていた仏教寺院の神秘的なべールが開かれた。


この小さい古寺は、新疆ホータン地区策勒県ダマ溝南東約7キロのトプロクトン(ウイグル語で数多くの土丘の意)と呼ばれる所にあり、「トプロクトン寺」と名づけられた。
トプロクトン寺は、とても小さく、中国ないし世界で発見された最小の寺と見なされている。その保存状態にしろ、壁画と彫塑、仏堂の精緻さにしろ、いずれも人々を驚かせるほどすばらしく、国家文物局に「2002年における中国の重要な考古学発見」のひとつとされた。寺の南北の長さが2.25メートル、幅が2メートルで、面積はわずか4.5平方メートルしかない。創建年代は7世紀頃と判断されている。建物は木造で壁は泥で塗られており、四つの壁に一つの門がある構造である。四つの壁には大乗仏教を内容とする壁画が描かれており、真ん中には釈迦座像がある。仏像の首以下の部分が完全に保存されている。壁画の残片は120枚で、木製の道具が2点出土した。
寺でもっとも価値があるのは、彩色壁画である。6世紀末期のガンダーラ芸術の影響を受けていると思われ、仏像の両側の菩薩は冠を被り、上半身は裸で、首や背中にアクセサリーをつけており、片手に蓮の花、片手に浄水の入った瓶を持っている。寺の南面の壁の東側には一人の女性が描かれており、残念なことに下半身しか残っていない。残った画面から判断すると、女性は白くて短いスカートを穿き、赤い上着を着て、スカーフを両肩に垂らし、裸足で格子模様の敷物の上に立っている。女性の後ろには3重の褐色の光輪があり、光輪の外にはまた黒い光輪が描かれている。左の足元に白地に黒い斑点をもつ馬がおり、細部ははっきりしないが、右足のわきには小さな仏の座禅像が描かれている。壁画に描かれている内容を分析すると、画中の女性は五百の子の母で、他人の子供を食らう悪魔だったが、仏教に帰依して護法神になった、鬼子母神だと思われる。
トプロクトン寺の周囲には、村落の遺跡は発見されていない。ここの広々とした環境は、まさに仏教徒の修業に絶好の地であろう。寺の建築スタイルは簡潔で、扉は一つしかなく、内部の面積も狭い。この閉ざされた空間こそ修業者の理想の地である。
トプロクトン寺の壁画に描かれた菩薩はいずれも半裸で、しかも鬼子母神を護法神にしていることから、この寺の修業者は一人の敬虔な王族の女性または俗世を見限った女性商人ではないかと専門家は推測している。この寺は修業の地だが、人々が共同で修業をする場所ではなく、一人だけで修業をするところだった。
寺の所在地は、地元の人に「ダマ溝」と呼ばれている。ダマ溝の名前は、古代インドのサンスクリット語の「仏法が会合する地」からとられているとされる。ダマ溝は、前史時代には河床だったが、上流の水量の減少や河床の変化、あるいは人が堤防を造ったため河が涸れてしまい、とうとう砂漠になってしまった。
ダマ溝のトプロクトン寺は、砂に埋もれて姿を消してしまった。これはいわゆる仏教の「大厄」と言えよう。しかし、千年あまりを経たのち、砂に埋もれた古い寺は、また幸運にも姿を現した。クンルン山脈の麓にあるオアシスには、清い川が流れ、樹木が枝をひろげて影を落とし、東西を往来するキャラバンは、さらさらと流れる川の音と人々のサンスクリット語の喧騒を聞きながら、線香が立ち昇る寺院が続く道を歩いていたかと思うと、世の移ろいに思いを馳せざるをえない。