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浙江省温州市の北25キロの美しい楠渓江畔に、戦争によって生まれた古い村落がある。この村の南西に一つの山があり、その山には三つの大きな岩があって、その石は赤みがさした白色をしており、まるでハスの花の三つの花弁のようなので、「芙蓉三崖」と呼ばれている。夕日が西に沈むとき、その三つの石は村の大きな貯水池の水面に映り、満開のハスの花を思わせるため、「芙蓉村」と名づけられた。




防御のため、芙蓉村は玉石で築かれた壁で囲まれている。その壁には銃眼が開けられ、周囲には形がそれぞれに異なる七つの門がある。芙蓉村の東門が正門で、それは1341年に建てられた、屋根裏部屋付きの建築だ。建物の下にあるあずまやは村の年寄りたちが世間話をする場所となっている。
正門から入ると、長さ220メートルの広いメインストリートがあり、地元の人に「長塘街」と呼ばれている。村の道はいずれも玉石で舗装されているが、長塘街だけは黒いレンガで舗装されており、両側には石板が敷かれている。楠渓江沿岸のほかの古い村は、正門は村の正面に造られているが、芙蓉村では正門から入って一度ぐるりと曲がってようやく長塘街に着くことができる。長塘街は村で最も賑やかなところで、道の両側には旅館やレストレンが建ち並んでいる。
芙蓉村の南門は石で築かれていて、とても重厚である。壁の下には西の楠渓江からきれいな川の水を引き入れる用水路があり、村の女たちの洗濯や野菜洗いの場所となっている。朝ごはんの後、女たちは子供を連れ、洗濯物や新鮮な野菜を入れた袋を提げて、川辺にやって来て、それを川の水で洗いながら談笑している。村の外には一面の田んぼが広がっている。農繁期には、農民たちは鋤を肩にかけ、西門や北門からあわただしく出入りする。
村全体は「七星八斗」の様式で配置されている。星は道路の交差点にある方形の広場を、斗は用水路の合流点にある四角い貯水池を指している。道路と水系が縦横に交差しており、完全なシステムを形づくっている。このシステムはとても広い用途をもつ。平和な時期には、生活・防火・気候調節・環境美化の役割をもち、戦時には「星」は作戦指揮台、「斗」は火攻めを防ぐための貯水池とされる。
芙蓉村の古い民家の多くは明代初期に建てられ、ひとつの庭を囲んで四つの建物がたつ四合院式の建物である。中央にあるのが母屋で、両側には縁側のある部屋があり、前廊下と母屋の前廊下とはつながっていて、三面を囲んでいる。どの家も石で低い壁を築き、果樹が茂っている。村全体がのどかな田園の趣をもつ。
芙蓉村には長い歴史がある。『陳氏宗譜』の記載によると、唐代末期、乱世を避けるために、芙蓉村の先祖である陳氏夫妻は永嘉県都から北へ移動し、楠渓江に沿って山奥に入り、芙蓉峰までたどり着いた。芙蓉三峰のふもとに小川と耕地に適した野原がある場所を発見し、そこを定住の地とした。今でも、芙蓉村には陳という苗字が多い。
かつて、芙蓉村は戦火によって破壊されたが、戦争によって生き返った。南宋末、元の軍隊が南下したおり、芙蓉村の村人陳虞之は南宋の重臣文天祥の呼びかけに応え、村の800人余りの義勇軍を率いて芙蓉峰を三年間守り続け、最後には全員が元軍の攻撃に倒れた。芙蓉村は元の軍隊に焼かれたが、これから教訓を得て、芙蓉村の再建には軍事防御の強化に重点がおかれた。明代初期に村は再建され、村の周りに七つの門と石壁が築かれ、内部には八つの防火のための貯水池が建造された。
他の古い村と同様に、芙蓉村の人もまた、耕作とともに学問に重きをおいている。その結果、南宋の時期には「十八金帯」、すなわち18人の村人が同時に都の役人になった。村外れにある祠堂には、この18人の高官である先祖の肖像が整然と並んでいる。
芙蓉村をそぞろ歩くと、村の静かで生気に満ちた生活を感じることができ、古めかしい家屋が歴史の痕跡を今に伝えている。
旅行ガイド:
交通:芙蓉村は浙江省温州市永嘉県北部にある岩頭鎮にあり、温州から約25キロ。鉄道で温州まで行き、岩頭鎮行きのバスに乗り換える。所要時間1時間で乗車料5元。降りてから南へ10分間歩くと到着する。人力車に乗れば一人2元。
入村料:15元。午後5時以降は無料。
宿泊:農家の旅館があり、一泊10元。
食事:本格的な農家料理が楽しめ、燻製肉、干しタケノコ炒め、干し野菜と肉のしょう油煮込み、カエル、干し川魚などが有名。