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ファッションから60年間の社会変化を見る
――ファッションデザイナー李欣のインタビュー
文/王冬梅

 1946年上海生まれの李欣は、中国最初のトップクラスのデザイナーの一人で、中国でもっとも知られているクリエイティブファッション・デザインコンテストであるブラザー杯(兄弟杯の創始者であり、中国ファッションデザイン金竜賞の「傑出した貢献賞」の獲得者であり、そしてまた「中華杯」国際フッションデザインコンクール第15回選考委員会主席、江西服装学院の名誉院長、香港中文大学の名誉顧問でもある。中国ファッション功勲人物賞を受賞したこともあり、多くの学生を養成した教育家でもある。

 中華人民共和国建国60周年に際して、中国ファッション業界の発展を見守ってきた李欣に、60年間の中国人の服飾文化と社会変化についてのインタビューを行った。

全国民「おそろい」の服装から個性的なファッションまで

記者:新中国の成立以来、中国社会は巨大な変化を経てきました。日常生活に欠かせない服は、人々の生活における変化を的確に表していると思いますが、これについてどう思われますか?

李欣:ご意見に賛成します。

 新中国が成立したばかりの時は、国は貧しく、人々も貧しく、ご飯を食べるのが精一杯で、服装どころではありませんでした。当時、もっとも凝った男性の服装は中山服で、それは立ち襟で4つのポケットがあり、孫文が好んで着ていた服のため、そのように名づけられました(中山は孫文の号)。女性はボタンが二列にならんだ大きな襟つきのレーニン服(旧ソ連式の服)を着ていました。それは、当時の国家の指導者たち着ていた礼服でもありました。

 ほとんどの人は、紺、黒、灰色の布でできた服を着ていましたが、その多くは自分が手作りしたものでした。一枚の服は、擦り切れるまで着て、穴があいたら継ぎを当て、それもだめになったらさらにその上に継ぎを当てて、何年も着続けました。その時、子どもたちは春節を心待ちにしたものでした。年越しの時にだけ新しい服を着ることができたからです。女の子は花模様の服を着ました。花模様の服を着ている男の子は、お姉ちゃんのお下がりを着ているのだなとすぐ分かりました。

 ほとんどの家には、ミシンはありませんでした。ミシンで作った服を着ている人は、鼻高々だったものです。その時の仕立屋は、開き襟の服、学生服、ワンピース、チャイナドレスさえ作ることができれば、立派に店を開けました。

 1960年代にいたって生活条件がよくなり、結婚のときには、絹の綿入れを作ることができるようになりました。しかし人にブルジョワだと噂されるのを恐れ、ふだんはそのまま着ることができず、襟や袖縁がちょっぴり見えるようにして、綿入れの上にさらに一枚羽織りました。その後、国中が自然災害に見舞われ綿布が不足したため、配給制がとられて、服はまた大きな問題となりました。お金があっても生地が十分に買えず、主婦たちは端切れを手に入れて、それをつなげて工夫して服を作ったものです。そうやって作られた服はオリジナリティがあり、節約にもなりました。

 後に経済状況は改善しましたが、文革が始まりました。政治的原因で、全国民が「紅衛兵」のユニフォームにあこがれ、軍服が当時もっともおしゃれな服装となりました。軍服一式をもっている人は、皆に羨しがられました。

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