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2010年の万博開催ともない、上海だけでなくその周辺の江蘇省に注目が集まっている。今回の万博は「よりよい都市、よりよい生活」をテーマにしているため、江蘇省の都市とはどのようなところか、人の興味を呼び起こすことになった。これらの都市には、万博に来た観光客が足を止めるに足る、どのような面白い場所が隠れているのか、さぐってみたいと思う。





南京
南京は、われわれの最初の目的地である。ここは人が南方の都市と聞いて連想するすべてのものが揃っている。狭くて曲がりくねった清潔な道、緑にあふれた町、そしてもちろん何百年も詠い継がれてきた詩句「江南は美しい土地、金陵は帝王の住むところ(注:金陵とは南京の古名)」の世界である。ここに比べると北京は雑然としていて、上海はせせこましく、杭州は小じんまりしすぎていて、南京はすべてにおいてちょうどよい。
南京はその歴史をほこる場所でもある。都市の至るところにかつての王朝の旧址や寺院があり、この都市の長い歴史を垣間見せている。唐代の詩人韋庄が詠んだ台城はもはや存在しないものの、後代の人は彼の詩句に基づき、鶏鳴寺のうしろにある明代の城壁付近を台城と考えて、当時をしのぶようになった。「台城」にのぼると東には青々とした鐘山が、北には玄武湖が見渡せ、緑の海が眼下に広がる。南には九華塔があり、塔の影がゆっくりと動いている。そして西からは、鶏鳴寺の鐘の音が鳴り響いてくる。
ここにはさらに夫子廟や秦淮河もあり、千年もの間、才子や美人の物語がここで次々と生まれた。今でも、灯りがともるころになると、ここはかつてと同じように舟の櫂の音と灯の影で彩られ、川辺は扇情的な騒がしさに満ちる。現在の秦淮河の河畔は、琴や琵琶の音が響くだけでなく、ギターをもった流しの歌手もいる。彼らは布を敷いて、道行く人にお金をもらって生活している。
民国以降、南京は大統領府と中山陵とともに語られることになる。中山陵は山を背に南向きに建てられている。西には明の孝陵、東には霊谷寺がある。1929年から、孫文の棺がここに置かれている。墓地全体は「警鐘」の形をしており、そのなかでも祭堂は宮殿式建築で、3つのアーチの門をもつ。門の横木の上には「民族、民権、民生」と刻まれた横額が置かれている。祭堂の内部には孫文の大理石座像があり、壁には彼が自ら記した『建国大綱』の全文が刻まれている。
歴史をさらに下るならば、南京の最も苦い過去である「南京大虐殺」がある。この都市の奥深くに、目をひく灰色の建築があるが、これが南京大虐殺紀念館である。これは南京のかつての傷跡である。この大虐殺により、南京が受け継いできた歴史的な栄華をかき乱され、この都市の隠された悲しみとなったのである。
紀念館の地下は厳粛で恐ろしい空気につつまれている。人類が互いに殺しあう悲惨な光景がここに集中し、その中に身をおくと、真夏であろうとも身震いを覚える。地上に戻るとさんさんと光が照る別世界であった。この身で受けた苦難は決して簡単に忘れ去ることができない。そのため記念館の最後には、大きな字で黒々と、「赦すことはできるが、忘れることはできない」と記されている。
繁栄があって、風情があって、動乱があった。傷を受けた南京も今は変身している。2009年6月に使用が開始された紫峰大厦は、この都市の新しいランドマークである。この鼓楼広場に聳え立つ高さ480メートル89階建ての建物は、現在世界で七番目の高さを誇る建物である。何年かのちには、南京のシンボルといえば、先ほどの詩句だけでなく、この現代的な高層建築のこととなるのかもしれない。
このほか、私たちはさらに仏教の経典の印刷所である、愛徳聖経印刷工場を訪ねた。この愛徳聖経印刷工場は単体として世界最大の印刷工場であるという。絶えず印刷されてくる仏教の経典や著作は、この都市の豊かな情となって、市民のかもし出す静けさや安らぎのなかに息づいている。