| 中国画報の購読 |



北京のある茶館で、記者は約束どおりに来た翟墨と会った。長い髪の毛を頭の後ろで束ね結、渾身に自由奔放なアーティスト気質を漂わせている。その黒く日焼けした肌に気づかなければ、この痩せた若者が一人で一本マストのエンジンなしヨットを操り、2年半をかけて3万カイリを航海し、世界一周という壮挙をなしとげた人とは信じられないだろう。




2006年1月6日、翟墨は帆船「日照」号を操縦して、「水上スポーツの故里」と呼ばれる山東省日照市からスタートし、黄海、東海、南海に沿って南下し、ジャカルタ、マダガスカル、ケープタウン、パナマ、モザンビーク海峡、カリブ海などを航海し、3大洋5大陸の40数カ国と地区を通過し、とうとう2009年の8月に日照への里帰りに成功し、一人で世界一周を成し遂げた初めての中国人となり、「中国のロビンソン」「現代の鄭和」と称えられている。
アーティストから航海家に
1968年に山東省泰安に生まれた翟墨は、幼い時はずっと体が弱く、誰も彼が航海家になるとは思いもしなかった。美術に夢中となり、高校を卒業した翟墨は山東省芸術学院に進学し、油絵を専攻した。
卒業した翟墨は、最初に広告のイラスト製作、そののち油絵創作の仕事に携わり、最後にテレビ・映画の製作に身を投じるまで、彼はアート界で10数年ももまれてきた。1998年、アート界で頭角を表しはじめた彼は、招きに応じて個展を催すため、フランスやニュージランドなどに渡航した。
2000年まで、翟墨の人生は航海にはまったく関係なく過ぎていた。彼自分も思いがけないことに、偶然に耳に入った話が彼の人生をすっかり変えた。当時、ニュージランドで個展を開催していた彼は、同時に地元のテレビ局のドキュメンタリー『航海家のストーリー』を撮影していた。主人公は一人のノルウェーの老人で、翟墨は興味をおぼえ、今までいくつの国に行ってきたかを老人に尋ねたが、彼は「覚えていません。しかし、地球を一周半はしただろうね」と答えた。何気ない話だったが、翟墨の心に冒険の夢が蘇った。これこそ私が夢に見た生活だと思い、翟墨は絵を売ったお金と今までの貯金を持って、船を探し回った。2000年2月、オークランドから5時間ほどのところにある小島で、彼は長さ8メートルの中古の無動力ヨットを見つけた。
保証金を払ってから、彼は自分がヨットの操縦ができないことに気づいた。すべての手続きを済ませて、船に乗る前に、彼は元の船主に「船をオークランドまで操縦していってくれませんか?」と聞いた。元船主は船をオークランドの埠頭まで操縦していってくれ、その途中で舵や帆の扱い方を教えてくれた。5時間の航程で、彼は無動力ヨットの操縦を身につけた。翟墨はすべての生活用品をヨットに移し、水夫と船長を兼ねた暮らしを始めた。初めてのヨットを手にいれ、翟墨の航海人生は始まった。