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北京市内にある故宮を知らない人はいないだろう。この建物はかつての皇帝のシンボルであり、北京市のランドマークでもある。中国中部の湖北省には、故宮の面積の10倍もある建物があり、それが「雲中の故宮」と呼ばれる武当山建築群である。




皇室の道観
1412年に、北京や江南各地から30万人近くの軍人や職人が集められ、武当山に集まった。彼らは、北京の故宮の図面を手にもち、明の永楽帝の命を奉じて、武当山に故宮のような建築物を建てようとしていたのである。これは、明朝でもっとも長く、もっとも規模が大きい工事であり、史書に、「北に故宮、南に武当山を築く」と記された。
十余年の工事を経て、とうとう武当山は天柱峰の金殿を中心に、九宮、八観、三十六庵、七十二岩廟を主とし、70キロの参道を中心線とした、160万キロ平方メートルの中国最大の皇室の道観が完成した。その面積は、北京の故宮の面積の10倍以上である。
「天下の名山は仏教に占め尽くされている」と、中国の諺はいう。仏教は「舶来品」だが、その信者は遥かに土着の道教を超え、数多くの名山が仏教の本山となった。しかし、武当山には、道観のほかには寺がない。
武当山の金頂は、元々仏教の無量仏を祀っていたが、後に玄天真武大帝(道教の北方の神)がここに行脚したとき、険しい峰が林立し、主峰の天柱峰が高く聳え、周りに72峰が囲んでいるのを見て、とても気に入って、天柱峰を訪ねた。そこにいる無量仏に土地を借りることを打診し、わずか8歩の大きさの土地だけでいいと言った。無量仏はそれっぽっちならかまわないと思って彼に貸し与えた。思いもがけないことに、真武大帝の力は限りなく大きく、一歩が百里にも当たり、天柱峰の頂から八歩を歩くと、まるまる武当山を占めることとなり、無量仏を追い出してしまった。武当山はこうして道教の本山となったと伝えられている。
玄天真武大帝の聖地、道教の本山、神仙の居住地として、武当山の名は広く知られている。武当山の古い建物は唐代に創建され、唐・宋期に皇室の援助を得て発展を遂げ、明代に最盛期を迎えた。
明の永楽帝は武当山を「大岳」と封じ、しかも道教の真武大帝の修業物語に基づいて土木工事を行い、神様に北方で政権を奪い取った皇帝を保護することを願った。真武大帝のたくましい体、丸々とした顔、ざんばら髪で裸足の姿は、永楽帝をモデルにして作られた彫像だと伝えられている。
明の皇室の大いなる支持の下で、武当山は名を轟かせ、名高い道教の聖地となった。