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野生動物とともに暮らす東北人
文 譚星宇 写真 王福春

 

 

タンチョウヅルになった娘

黒竜江省西部の松嫩平原には見渡す限り果てしないアシの湿地がある。それは世界で2番目に大きい湿地、扎竜自然保護区であり、中国最大の湿地自然保護区でもある。澄んだ川の流れ、一面に咲き乱れた野の花、空を舞うタンチョウヅルにより、この土地は「中国で最も美しい湿地」と言われている。

かつての扎竜は水草がよく生え、多くのタンチョウヅルや白鳥が生息していた。ここに住んでいる人々は魚を捕って暮らしており、人々にとってタンチョウヅルは身近なものであった。中国ではタンチョウヅルは「仙鶴」といって尊ばれ、人々は彼らを傷つけるようなことはしなかったときにアシの湖でタンチョウヅルの子どもを捕まえ、家に連れて帰って育てたりした。こうして大きくなったタンチョウヅルは人を恐れず、遠くから主人がやってくるのを見つけると飛んできて、愛嬌をふりまくように空を舞ったものである。

徐鉄林は扎竜で生まれ育った1975年、扎竜保護区が成立し、徐鉄林は野生鶴類調査隊に入った。鶴を熱愛していた徐鉄林にはうってつけの仕事であった。毎年、タンチョウヅルが飛んでくる時期になると彼は忙しくなる。毎日タンチョウヅルを追いかけ、その生活や習性を研究し、タンチョウヅルの人工孵化まで行った。冬になると、タンチョウは南下し、彼もそれにしたがって南下した。こうして、特別な教育を受けているわけではない徐鉄林が、しだいにタンチョウヅルの専門家となっていった。

徐鉄林は7人家族で、長女の徐秀娟は、高校卒業前から父に付き従い、タンチョウヅルの飼育について学び始めた。1986年、中国東部江蘇省の塩城にタンチョウヅル自然保護区が成立した。塩城は徐鉄林の指導を請うた。扎竜の仕事が手を離せないため、徐鉄林は娘の徐秀娟を派遣した。徐秀娟はまだ若いものの、タンチョウヅルの飼育には詳しく、すぐにその能力を発揮した。

1987915、塩城保護区に外地から運ばれてきた繁殖用の2羽の白鳥のうち1羽が消えてしまい、徐秀娟は2人の男性の同僚とともに探しに出かけた。しかしその2日後、白鳥は自分で飛んで帰ってきたものの、徐秀娟は捜索中に落水し、たった23歳の若い命を捧げた。1人の音楽家が徐秀娟の物語を歌にした。その歌は予想に反して大流行し、徐秀娟という名前も人々によく知られるようになった。彼女は中国の環境保護事業のために命を捧げた最初の人間となったのである。

70歳になる徐鉄林とその家族はやはり扎竜に住んでいる。息子が徐鉄林の仕事を引き継ぎ、扎竜自然保護区でタンチョウヅル保護に従事している。王福春が徐鉄林のために一家の記念写真を取ったとき、徐さんは徐秀娟の大きな写真を持ってきて、それを手に持ち記念撮影を行った。徐鉄林は、娘はタンチョウヅルに変わったのであり、寒い冬には遠くに飛んでいっているが、いつかは戻って来ると信じている。

 

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