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シルクロードをたどる
文/陳 飈 写真/段 崴

 

 

南方日報の元社長範以錦から見ると、広州の変化は著しい。彼が初めて広州にやってきて大学に入った1964年には、「広州はもの静かで、出稼ぎ労働者はいませんでしたし、交通渋滞もありませんでした。校外を散歩すると、昨日途中で出会った人に今日も会うといった具合でした。今では、知り合いに会うのも簡単なことではありません。当時の広州には、中山路・人民路のわずか2本の大通りしかなく、そのほかの場所には広い畑が広がるばかりでした」。

改革開放は広州市にとって、極めて重要なターニングポイントであった。当時、南方日報の記者を勤めていた範以錦は感慨深げにこのように語る。「その当時広州市の変化は実に大きく、人々の往来が激しくなり、交通渋滞もはじまり、町も乱雑になってきました。家の賃貸しやほったて小屋が立ち並ぶなどの問題もぞくぞくと現れ、町には露店が増えて、地方から多くの人が電気釜などの家電を買いにやって来ました」。広州が静かな町から賑やかな大都市へと変化したのは、実はごく自然のことで、経済の発展がもたらした問題は一つ一つ解決しなければならないと、範以錦は言う。「広州は今環境の整備をしており、アジア競技大会を迎えるために、いたるところで道路の整備工事を行っており、市民は不満たらたらです。しかし、この苦しい過程は必要なものだと思います。長く苦しむよりは短期間不便をしのぶほうがいいでしょう。政府は問題は最小限におさえ、できるかぎり市民生活への影響を減らさなければならなりません

19878月、広州で行われた第六回全国スポーツ大会のために、天河体育センターが落成し、広い田畑のなかに聳え立つこととなった。家族と共に中山紀念堂付近から天河体育西路に引っ越してきた1990年、当時わずか18歳だった張さんにとって、天河一帯の荒れ果てた景色はとても印象深いものだった。「夜になると、黄埔大道の灯が暗いので、家を出るのが怖いくらいでした」。1990年代の初めに広州市政府は、北は黄埔大道から南は珠江まで、西は広州大道を境目に、東は華南高速までの約6.4平方メートルの土地を買収し、「広州の新都心」として珠江新城の建設を開始した。現在、高層ビルが林立するこの地域は広州のビジネスセンターとなっている。しかし、荔湾、越秀などの古い町のお年寄りたちはいまだ天河に行くことを「広州を出る」と表現してい

新世紀に入り、広州市の都市発展戦略計画に新しく「付け加えられた」地区である番禺は、未来の南の衛星都市の中心とされている。「高校に入った2000年頃から、番禺の発展をずっと見守ってきました。中国でもっとも大きい遊園地である長隆歓楽世界が完成し、地下鉄3号線も開通し、アジア競技大会の会場は番禺に決定して、新しい駅が建設中です。特にアジア競技大会の会場は我が家の近くです2006年から、ここは迅速な発展を始め、高層ビルが林立しているばかりでなく、以前の石楼鎮のときにあった建てかけの建物もしだいに消えていきました。いままで誰も気にとめることもなかったこの地が、高級住宅地に変身しました。今では、将来の広州市の中心が番禺に移るかもしれないと、村人はうわさしています」と、番禺石楼鎮沙北村の村民梁は語る。

 

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