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中国古代の政治制度について語るならば、科挙ははずせないだろう。唐代に正式な科挙がはじまって以来、20世紀の初めに科挙が廃止されるまで、千年間にわたって公平な試験によってたくさんの人材が選出され、官僚制度が樹立された。それは西洋よりもはるかに早い時期のことである。科挙によって政府の役人となった人たちは知的レベルが高く、ハイレベルな生活を送っていた。中国中部の太行山の奥深くにある沁水県には古い村落跡、西文興村があり、中国のかつての文人たちの生活様式をよく保存している
西文興村はまたの名を柳氏民居と言い、柳氏一族が代々居住していた村落で、明の永楽4年(1406)から建て始められ、600年間にわたって存続してきた。家系図によると、現代の当主は26代目にあたる。その歴史ははるか唐代までさかのぼることができる。唐代に柳氏一族は名高い文学家、柳宗元を生んだのである。中国文学史上、柳宗元は詩歌と散文に優れ、特に苦しい庶民生活をたくさん描写したリアリズムの作家である。805年、柳宗元は政治改革に参与したが、不幸にも失敗し、辺境へ流刑に処された。その子孫は迫害を避け、その一部が太行山の山奥に移り、定住した。明代になると柳宗元の子孫は科挙に合格し、土木工事を興し、何世代にもわたって苦心して造営を続け、今の柳氏民居ができあがった。
柳氏民居は西文興村東部の南北に走る峠に位置し、山の高低にしたがって南向きに、山を背に水に面して建てられていて、敷地面積は2ヘクタールである。ここは風水に優れた土地である。東には三つの山々が連なり、形は筆を架ける棚のようで、そのために文官を輩出するといわれている。西には九つの山々がえんえんと続いているが、それは九品官から一品官(官僚の地位を示す)までの昇進のシンボルだ。山水に囲まれた西文興村は風景が美しく、騒々しい現代都市を遠く離れ、田園の詩的な息吹きを放っている。
柳氏民居の建築は三つの部分に分かれる。村の東は外府区で、祠堂、文廟など宗教的な祭祀場所を含む。村の北は内府区で、主に居住用で、小さな舞台、賞景亭、観河亭、後花園などの娯楽施設もある。中央は規模の大きい内街で、内外の両区域を緊密につないでいる。空中から俯瞰すると、全体の配置はバランスよく、空間構造と表現様式は厳しい封建等級礼式に従っていて、一族の整然とした家族関係を具現している。