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「中国民間の万博コレクションの第一人者」といわれる仝氷雪の収蔵室で、もっとも目をひくコレクションは、彼が5年近くをかけて収集してきた200件の万博関係のコレクションである。1851年のロンドン万博の全景図や1939年ニューヨーク万博の全景図、1851年~1958年の20回あまりの万博で発行された数十枚の表彰メダル、そして歴代万博の中国館のエッチング画、写真、書籍、写真集など。これらの貴重な歴史収蔵品を見ていると中国の万博参加の歴史を見ているかのように感じられ、この東方の古い国と万博の半世紀にわたる切っても切れぬ縁を示しているようでもある
万博に参加した初めての人物
2010年、中国はオリンピックについで上海万博という世界的な行事を主催するが、中国人が万博に参加したのは1951年のイギリス・ロンドンで開催された第一回万博にまで遡ることができる
1840年、第一次アヘン戦争で、ヨーロッパ人たちは船から大砲を撃ち放ち、中国という東方の大国の門戸を開け放とうとした。清の「地上で最も偉大なる国」という幻想を打ち破ると同時に、中国人が外に出て、世界というものを知ろうとするきっかけとなった。1851年の春、イギリスが万国工業博覧会を開くという情報が徐栄村という広東商人の耳に入ると、目先がきくこの商人はこれをビジネスチャンスだと捉えた。そして彼は自分が販売している「栄絲」を12包、いそいで船にのせ、イギリスまで送った。「栄紀湖絲」はもともと質の良い生糸でその名を知られていたが、彼はそのなかでも最上級の品物を選んだ。しかし、包装がお粗末だったため、「栄紀湖絲」はロンドンについても冷遇され、無視された。しかし、万博は長い間開かれていたため、しだいに「栄紀湖絲」はその上質さが注目され、一目置かれるようになり、最後には世界博覧会で金銀の大賞を獲得し、ヴィクトリア女王は自ら彼に賞を授けた。
徐栄村が当時万博に参加したのは個人的な行為に過ぎなかったが、中国が公式に参加した初めての万博は1873年のウィーン万博であった。特殊な背景のもとで清政府が初めて参加した万博は、それに関する事務はみな西洋人が行ったものだった。当時中国税関総税務長官はイギリス人のハートが担当しており、彼は当時広州税関副税務長官バウラに中国代表を委託し、ウィーン万博に参加させた1876年、中国は初めて中国人の代表をアメリカのフィラデルフィア博覧会に送りこんだ。こののち、中国は何回も万博に参加し、万博を通して自己表現し、世界のなかに入り、世界を発見したのである。