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万博にプレイバッ
1939年、アメリカのニューヨーク万博ののち、何年も続いた戦乱などを理由に中国と万博はしだいにその距離を遠のかせていたが、1982年になってようやく、新中国はふたたび万博の舞台の上にたち、アメリカのノックスヴィル万博に新中国として初めて参加した。それは、1970年代の改革開放政策が中国がふたたび万博の舞台にもどってくる契機となったためで、1979年、鄧小平のアメリカ訪問の際、アメリカが1982年5月のテネシー州ノックスヴィル市で開催される「エネルギー源が世界を動かす」という万博に中国を招待したのである。こののち中国は毎回の万博に参加し、ひとつの新中国のイメージがまさに形成されつつあ
しかし、帰ってきた中国は万博の参加者にとどまらず、主催者になろうと考えた。2001年、中国は正式に2010年万博の申請を行い、2002年12月3日、上海が2010年万博の主催権を獲得したのである。
その実、早くも1世紀前に、梁啓超や鄭観など、有識の士たちは、中国が万博を執り行うという考えを抱いていた。1910年、上海の小説家陸士諤にいたっては、彼の作品『新中国』のなかで、上海が万博を執り行うという虚構の情景を描いている。当然、当時の国力の弱い中国が万博を開くというのは、まだまだ夢にすぎなかった。しかし2010年上海万博の開催が目前にせまった今日、中国はとうとう100年の自らの夢を実現するのである。