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震災後の四川省を訪ねる
文と写真/陳 建

 

2008512日、中国四川省でマグネチュー8クラスの地震が起こった。地震による崖崩れや家屋の倒壊、そして数多くの死者・受傷者に、私たちは大きなショックを受けた。2010年の春節(旧暦の正月)前、私たちは四川省をふたたび訪ねた。学校や民家、道路、橋などがすべて再建され、酷寒を経た大地がふたたび春を迎えたように、まったく地震の痕跡は見られなかった。

かつて棚花村を訪れたことがある私たちだが、新築された農家の間を通る道路を歩いているとやはり迷子になってしまった。黒い瓦、灰色のレンガ、しっくいの壁、一面に咲き誇る菜の花。もっとも目立つのは、家々の壁に描かれた年画で、色鮮やかで生き生きとしている。しとしと降り続く春雨の中で、この棚花という小さな村は、まるで桃源郷のように美しかった。村の入り口の「我が村を再建し、江蘇省に感謝する」と書かれた看板がなければ、ここがかつて巨大な震災による苦しみを経験したところだとは思わないだろう。

棚花村は綿竹年画の発祥の地のひとつである。古来より中国四大年画(天津の楊柳清、河北の武強、江蘇の桃花塢、四川の綿竹)の一つに数えられる綿竹年画は、地元の人々の誇りであり、棚花村では今もその技が伝承されている。綿竹市の山間経済ベルト地帯に位置する棚花村は、交通の便にも、豊富な雨量にも、肥沃な土地にも恵まれている。春になると、山の斜面一面にナシの花が咲きほこる。秋になると、大きく実ったナシが、木の枝をしならせる。数年前から、棚花村の村人は年画を家の壁に描いて民宿を経営し、豊かな生活を送るようになった。

しかし、2008512日に起こった地震は、徹底的に棚花村を破壊し、村人たちは笑顔を失った。地震は棚花村の40人を犠牲にし、80人に怪我をおわせ、99%以上の家屋を倒し、その直接損失は1600万元にのぼった。

コイを抱いた太った子どもの壁画のある農家の前で、親子二人が楽しそうに大門に赤い提灯を掲げているのが目に入ったので、話しかけてみた。父親の名前は陳顕富といい、五人家族で、妻と10歳の息子がいるほか、彼の父母も一緒に生活しているとのことである。「地震の時、村のすべてが壊れてしまいました。私たちが十数万元を費やして建てた民宿も、あっという間に倒れてしまいました」。建て直されたばかりの家の中庭に座って、陳さんの妻鐘啓栄さんはお茶を淹れながら、淡々と語ってくれた。この生粋の四川女性はにこやかな顔つきをしており、年画に描かれた仙女のように美しく、地震によって得た苦しみの影はまったく見られなかった。彼女の後ろには、卵石を敷いた小道があり、紫色のカーテンがかけられた客室に通じている。陳さんの父母は、買ったばかりの家具を嬉しそうに室内に運んでいた。

地震の前から、陳家が経営する民宿「富達源」はすでに地元で有名であった。陳は頭がよい働き者で、妻もてきぱきと愛想がよく、料理にも長けており、年画の刺繍の腕も村髄一だ。一家の年収は数万元にのぼった。しかし、大地震によってすべてを失い、棚花村には山一面の梨畑と年画の技しか残されなかった。幸いなことに家族五人、みな地震で生き残った。

「生きてさえいれば、暮らしはしだいによくなるでしょう」。陳さんはこれからの生活に対して自信満々である。地震が起こった後間もなく、陳家は地元政府から19000元、赤十字から1万元の救済金を受け取った。それに貯金を加えて建てた新しい家は、実に美しい。しっくいを塗った庭の壁に新たに描かれた年画はとりわけ目を引く。江蘇省からの建設支援隊も村にやってきて、救済金をもたらしたほかに、「富達源」の近くに、1000万元を投じて綿竹年画の伝習所を建ててくれた。建設者たちは、年画刺繍により地震がもたらした苦痛を慰め、棚花村に地震後の初めての収入を得させようとしたのだ。

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