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北京の都市建設に関して、このような話がある。1950年代の初め、ある国家の指導者が天安門の上に立ち、「将来ここから町を眺めたら、北京市のいたるところに煙突が立っているのが見えるように工場を建てよう」と豪語したという。
この話がほんとうかどうかは知るすべもないし、今振り返るとおかしなことと感じるかもしれないが、新中国建設当初は、いかに工業を発展させるかが、国民経済に関わる大事であった。煙突は疑いもなく現代工業のシンボルである。中国最大の製鉄会社の一つである首都製鋼(首鋼)公司は、このような背景の下で北京市内に建設された製鉄コンビナートである
首鋼は天安門広場からわずか20キロあまりのところに建てられていて、その歴史は1920年代の初めに溯ることができる。1980年代末から1990年代初めまでのわずか十数年で、首鋼の生産高は100万トンから800万トンにまで激増し、中国の製鉄企業のトップの地位にあった。経済規模からいうと、首鋼の売上高は北京市の大手企業の売上高の一割を占め、国家と首都北京に巨大な富を提供した。
しかし、製鉄工場の生産規模の急劇な拡大にしたがって、各種の問題も徐々に現れてきた。排出する灰が増え、大気汚染が深刻になってきたのである。1990年代の初めに、製鉄工場の周囲86平方メートル範囲内に降った灰の量は、平均1平方キロメートル当たり34トンと非常に多かった。近隣住民の家の窓は開くことができない状態で、外出の時には必ずマスクをつけなければならなかった。首都鉄鋼は巨大な投資をして、設備改造と環境整備をすすめたが、根本的な解決にはならなかった。
早くも1986年に、ある専門家が「首鋼を移転するか、それとも首都を移転するか」という問題を提出した。1990年代後半には、ふたたび「首鋼と首都のどちらをとるか」という論争が巻き起こり、長きにわたる論証期が続いた。2001年7月に、北京はオリンピックの招致に成功し、指導者層はとうとう首鋼を北京から移転させる決心を下した。2005年2月、国家発展改革委員会は正式に首鋼の移転案を批准し、河北の唐山曹妃甸に新しい工場を建てることに決定した。それから5年、首鋼は、極めて大きい勇気を以って、万にものぼる従業員の再就職の重い負担を担いながら、全面的に唐山曹妃甸への移転作業を遂行している。
計画によると、2010年に首鋼は移転作業を完了する予定である。一つの古い製鉄コンビナートが北京市区の地図から消え去り、北京の一つの時代にピリオトが打たれたのである