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中国の若い世代の人たちは、済南ときくと、まず、小学校の時に習った中国の文豪、老舎の名作『趵突泉』の出だし、「千佛山・大明湖・趵突泉は済南の三大名所である」というフレーズを思い出す。いつも北京と関連づけて語られる老舎は、1930年、済南に赴いて大学の先生をつとめている。のちに著した済南に関する散文は、済南の観光広告ともなり、この効果は現在に至るまでその効果を保っている。
老舎は「済南の冬」という短編に、「山有り、水有りのこの古い町は、陽光にすべてがまんべんなく照らし出され、のどかに安穏たる眠りについている」と済南を描き出した。80年後のいま、この描写は相も変わらず人を魅了し、すぐにでもこの都市の懐に抱かれたいという衝動に、人を駆り立てるのである。
泉の都、済南
済南は山東省の省都で、長い歴史をもつ。中国文化におけるもっとも初期の君主のひとりである舜は、ここで生活していたと伝えられており、2100年以上も前の漢代には、済南はすでに現在の名前であり、それは済水の南の都市という意味である。古代の黄河の河道の変化により、済水という古い川はいまでは存在しないが、山東省には済寧・済源など、この川にちなんだ地名が今に残る。
中国の北方にある都市は、ほとんどが雨が少なく乾燥しており、都市景観も水という要素に欠けている。川であろうと湖であろうと、南方のものにくらべると枯渇気味である。何千年もの間、北に住む人々は人工的に水をひき、灌漑を行ってきたが、それでも水の美しさは南方のものには太刀打ちできない。
しかし、済南では事情が異なる。済南の周辺には黄河・小清河という2つの大きな川があって、とくに黄河が海に入る前に通る最後の大都市であることが、済南の地理・経済・文化に大きく影響している。そしてさらに済南を水の都としているのは、数多くある泉である。
中国人は済南というと、ほとんどの人が趵突泉を連想する。趵突泉は「天下第一の泉」とよばれ、古代の文献にも済南の名泉としてその名が登場する。2002年、河南省安陽から出土した甲骨文字によれば、趵突泉という名称が記されたものは3543年前のものに遡ることができ、趵突泉は済南にたくさんある泉の代表ともいえるものである。済南には700もの天然の泉があって、そのなかで著名なものは72にものぼり、これは世界的にみてもまれに見る数で、天下無双の天然岩泉水の博物館ともいえる。
済南の泉は数が多いだけでなく、その形もそれぞれに異なる。初夏に済南の中心にある黒虎泉を訪れると、周囲には大小さまざまな水桶をさげた人々が日常に使う水を汲みに来ている姿を見ることができるだろう。