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湖南省南漳県は山間地に位置しており、経済はさほど発達しておらず、ふだんは人の目を引くことはないところである。しかし、中国で土着文化が重視されるにしたがって、山の奥にある民俗文化も、人々の注目を引き寄せるようになった。神に通じ巫術を行う端公舞、結婚式や葬式で演奏される楽曲、道化役者が歌い踊る東鞏高足踊り、おどけたリズムの草刈の羅鼓楽曲などは、自然により近く、奇異かつ大胆な想像力が終始そのなかを貫いていて、繊細でロマンチックな感情にも欠くことがない。その「俗っぽさ」は想像を超える生命力をもち、荊山山脈の山奥に住む人々の悲喜こもごもの暮らしのなかに今も活きており、3千年変わることなく続いている。
3千年前から続く端公舞
銅羅と鼓の音が響くと、近隣の村民たちが集まってくる。頭に五角形の僧帽をかぶり、黄色の服をまとい、足に布靴を履いた古希にもなろうかという老人が、同行の四人の歌声とともに、歌い踊りながら登場した。彼は扇と鼓を手に持って回転したり、八卦の旗のまわりを回って拝んだり、まさかりを持って踊ったりしながら、ずっと歌い続けており、その歌は調子もリズムもうまく合っている。クライマックスになると、両目にも力がこもり、へそに力をいれ、パワーを炸裂させた……
南漳県薛坪鎮薛家坪村の古い家屋の中で、ある行事が行われていた。舞台の中心には端公像が祀られ、各種の神器も供えられている。後ろには竜・鳳凰や日月星辰火を描いた細密画が掛けられている。「秦家班は、容易にはお祓いの舞をしません。このような行事ができるかどうかは、お金は二の次で、家の主人の品行が正しいかどうかによります」。隣にいてこう語ったおばさんは、赤ちゃんを抱いてありったけの力で人混みをかき分けて前にやってきた。彼女によるとこの行事は見るだけでもご利益があるという。ある若い娘は、遠くところに隠れて、怖そうに見ている。その場の雰囲気は実に奇妙で重苦しかった。これこそ、3千年ずっと衰えずに伝えられてきた伝説の古代楚国の「端公舞」である。
楚の国が滅亡した後、端公舞は宮廷から民間に伝わった。その歌い方や踊り方はほとんどが野良仕事を模倣したものであるため、庶民に好まれ、まもなくそれは広く伝わっていった。民間で端公舞が行われる理由は、五穀豊穣、願掛け、吉凶占いなどさまざまで、そのうちでも死者の魂を慰めるのは、もっとも重要な儀式である。それは、霊札、焼紙、神棒、招魂旗、牛や馬の面、鬼の面などの神器を用意して、他界との会話を行うものである。しかし、今日の人々の目には、端公舞は怪しいまやかしの術に見え、しばらくの間は、異端と見なされていた。
「うちのおじいさんは薛坪の古くからの端公(端公舞を行う祈祷師のこと)です。昔は迷信だと言われるのを恐れて、たくさんの台本を捨ててしまいました」。今、「秦家班」で主役を担うのは、37歳の秦大武さんだ。彼の代には彼らの境遇もかなりよくなった。地元の村民たちが葬式などに招くだけでなく、多くの民俗学者が20万字あまりの台本を整理してくれ、無形文化財としての保護も受けている。