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沮漳嗚音――楚の人しか吹けない古いメロディ
荊山の奥地にある劉家山村にひっそりと残る「沮漳嗚音」楽隊の代表者である劉国章は、手品のように大きい袋から色々な古楽器を取り出し、テーブルの上に並べた。嗚音とは、吹奏・打楽器のことで、主な楽器にはトロンボーンやチャルメラ、そして鼓・銅羅・シンバルなどがある。普通、吹奏・打楽器は明るくて甲高いが、これらは音色が違い、低くて遠くまで響いて、咽び泣きのようにも聞こえるが、悲しさはない。「これらの楽器はすべて祖先から伝わってきたもので、この一セットしかありません。残念なことにわれわれはその作り方を知りません。ある工場でかつてこれらを模倣して作ってもらおうとしましたが、失敗しました。音色が真似できないのです」。劉さんの話を聞くと、目の前のこれらの楽器が、たちまち数千年を越えて、楚の人の手で奏でられていたもののように思え、そこに魂を感じ
「毎年春節のときに、すべての嗚音の楽隊が樊城に集まり、互いに技を争います。われわれの楽隊は、いつも一番多く聴衆を引きつけます」。聴衆が多くなると、劉家山村の楽隊は十八番を披露する。ラッパを吹く人は、頬で力いっぱい吹きながら、鼻で素早く空気を吸って休まずに10数時間も吹き続ける。もっとも息があっているのはラッパを吹く二人で、互いに自分の指を向こうのラッパに当て、同じ曲を完璧に奏でることができる。もっとも人々がびっくりするのは、「甩馬羅」で、二人の奏者が銅鑼を高く投げ出し、また手で受け取ることである。銅鑼の投げ出すタイミングは、必ずトロンボーンとラッパのリズムに合わせなければならず、銅鑼が旋回する音の高低がまた魅力
劉家山村の家の壁には「タバコ栽培模範戸」の札が掛けられている。タバコの栽培が彼らの主な収入源である。嗚音の演奏による収入は臨時収入にすぎない。主宰者の劉国章は早く1990年に村を離れて南章県の県都に出稼ぎに行った。現在、彼と妻が経営する「章華革靴」はすでに県都に3つの店舗を設けていて、ふるさとの親戚の子どもにも金銭援助ができるようになった。嗚音は彼が商売の合間に里帰りした時、遊び半分で行っているに過ぎない。「われわれの代は、まだ兄弟3人がラッパを吹けますが、次の代は一人しか吹けません」と、劉さんは隣にいる唯一の後継者、18歳の劉臣山を指して言った。荊山の奥深くに静かに3千年もの間、村人たちとともに生き続けてきた嗚音は、もはや今日の工業社会の変化に抵抗しきれなくなった。
「私は最近まで、嗚音の価値をまったく意識していませんでした。ここ数年、町の人たちが何度も知り合いを通して私を探し当て、取材したいと言ってくるようになり、ようやく私はこの古い技芸を見直し始めたのです」。劉さんは、ここ数年「沮漳嗚音」のために奔走している。音楽学院の教授に協力して、嗚音の曲調や調子を整理したり、仕事で都市に行くたびに民俗学者を訪ねたり、楽隊の写真・ビデオの撮影や演奏の録音をしてもらったりしている。また、ホームページを作って生徒募集をかけたり、人々が嗚音を迷信と思うのを避けるために、積極的に「無形文化遺産」に申し込んだりしている。しかも、嗚音楽隊用にわざわざ二セットの舞台衣裳をあつらえた。劉さんは遊びでやっているのではなく、壮年に入った彼は、「沮漳嗚音」を自分の生きがいにしようとして
南漳では、端公舞と沮漳嗚音の名がもっとも知られているが、その宝は決してこの二つにとどまらない。祭祀の生薬酒、滑稽でスリル満点の東鞏高足踊り、幻のような漳河魚灯、生き生きとした蛮河田植え歌、草刈の興を添える羅鼓など喜びを祝う音楽は、どれも野性的で奔放である。
田舎では、もっとも痛快な楽しみは往々として醜いものや俗的なものからなる。その生活は飾りたてる必要もなく、本能の赴くままに、興味本位で自由である。この草の根から生まれた芸術には、もっとも簡単な知恵、もっとも想像力を持つ誇張、もっとも真実で、もっとも深い愛憎がある。これは、中国の草の根文化がもつ一種の精粋であろう。