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古くから上海に住む人々の家に最初にやってきたとき、雑然としているように感じるかもしれない。生活のなかのすべてのものが、大きくない部屋のなかにぎっしりと詰め込まれている。部屋の配置はおもしろく、門をくぐって入ったところが家のなかでもっとも低いところであり、その左右はどこも上に行くための階段である。左側の長い通路は台所で、洗面所や浴室はその通路の突き当たりにある。左には2平方メートルくらいの四角い空間があり、カーテンをあけると、それがトイレであることがわかる。現在便器は飛行機でよくみられるような真空式の吸い上げ装置が付いているが、かつてはそれは木の桶で、夜になるといつもその桶の中身を捨てに行き、専門にそれらの汚物を回収にくる人がいたという。使い終わった電気釜もトイレにおくしかないほど台所は狭く、醤油瓶をひとつおく場所すらない。
家の空間はどこも十分に利用されていて、となりにある一部屋にいとこの叔父さん一家が住んでいる。廊下の右側から上にあがると客間に出る。そこの天井板は平らでなく、斜めに傾いていて、天井板と壁の間の三角の空間も利用されていて、神様の像などが飾られている。客間はふたつの部分に分けられていて、それはタンスで仕切られ、内側にある半分は幾分か床が高くなっていて、寝室になっている。寝室にたつと下の客間にいる人々を眺めることができ、おもしろい。この大きいとはいえない家は十分にその空間が活用されていて、長い時を経てきた木の梁や天窓は生活の跡を感じさせる。
夕日が天窓から差し込んできて、すでに色あせた結婚記念写真を照らしている。それはおばちゃんとおじいちゃんが二人で過ごしてきた日々を物語っているようにも感じられる。夕方、天窓から涼しい風が吹いてきて、またもうひとつの窓からでていった。それらは川の涼しげな感じをともなっており、静かで快い。おばあちゃんは言った。「もしできたら、万博を見てみたいねえ。上海と中国、そして世界の人々が待ち焦がれていた一大行事だもの。一生のうちにそう何度もあるもんじゃないしねえ」。
おばあちゃんの家を去るとき、彼女はわたしを下の階まで送り、わたしのために廊下の明かりをつけてくれた。明かりに照らされた階段を用心深く下まで降り、そこから急な階段の上を見上げると、普通の上海人の生活をさらに深く体験したという満足感を覚えた。