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朱銘の伝奇
文 譚星宇  写真 中国美術館提供

 

朱銘とは誰か。

これは、中国大陸ではまだ知られていないが、台湾では早くからその名を広く知られているモダンアートの世界的なアーティストの名である。彼の彫刻作品も彼の経歴も、伝奇性に富み、忘れ難い物語である。

多くのモダンアートのアーティストとは異なり、彼は正規の芸術教育は受けていない。1938年、本名を朱川泰という朱銘は、台湾の苗栗県のある農民家庭に生まれた。小学校卒業後、家が貧しく進学できず、父に言われるがままに、村の媽祖廟の彫刻師である李金川に弟子入りし、彫刻と絵画の技法を学び始め、その芸術的基礎とした。3年あまりの間、李金川の教えのもとで、朱川泰は確実な基礎を築きあげる。のちに「ディスカバリー」というテレビ番組の取材を受けたとき、朱銘は率直にそのころのことを語っている。彼の恩師はとても厳しく、彼にふたつのことを学ばせた。ひとつは下絵をしっかりと書かせたことで、恩師は「いい作品を作ろうと思ったら、下絵をきちんと描かなくてはならない。ほかの人が書いた下絵やモデル作品をもとに彫刻してはいけない。彫刻師が下絵を描けないということは、図面が引けない建築士と同じだ」と、語っていた。素描の基礎はこのようにして打ちたてられた。次に、しっかりとした彫刻の技をもつことである。「もっとも貴重なのは技を鍛えることで、三分なら三分、一寸なら一寸きっかりと刻まなければならない。もしこの力がなければ、何も刻むことができな

 まだ若い朱川泰はすでにその名を知られる彫刻の名手となり、寺や廟で彫刻が必要とされると人々はすぐ彼に仕事を頼むようになった。しかし、朱川泰という若者は、同業者とは違った考えをもっていて、自分がこの技をもっていることを幸いとは思っていたが、もう一方で、民間彫刻の限界を見据えていた。彼は自分が彫刻師という範囲を超え、芸術家になりたいと考えていた。芸術家としては、お寺や廟などの彫刻を作るだけでなく、自分の内心を表す作品を作り上げなければならない。彼はもともとの才能にさらに努力を重ね、たちまち芸術界でも頭角を表し、1966年に初めて参加したコンクールで大賞を受賞した。

彼以外の人だったら、小学校の学歴しかもたず、正規教育をうけたこともない、伝統工芸職人の弟子という経歴でこのコンクールに参加し、この栄誉を授かったのならば、祖先の名を上げる一大快挙として満足したことだろう。しかし、朱川泰はこれに満足することはなく、賞の獲得は大したことがないと考え、さらに上の芸術的境地を目指した。紆余曲折を経ながらも、31歳のとき、大彫刻家である楊英風の門下生となった。楊英風はかつてローマ・北京・東京で芸術を学んだ当時の台湾彫刻界におけるもっとも有名な彫刻家であった。楊英風は「朱川泰」という三文字は彼の世界ではすでに有名になりすぎていて、自己改造の妨げになると考えた。徹底的に過去の栄誉を忘れ去り、自己陶酔に陥ることなく、過去の自分という籠から飛び立たせるために、彼に新しい名前を与えた。それは、現在ある栄光を捨て去り、新しい未来のための基礎を築くようにという意味をこめたもので、それが「朱銘」という名の由来である。

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