| 中国画報の購読 |



楊英風からみると、朱銘が寺で学んだ基礎の技は十分なものだったが、逆に彼が技巧や枝葉にとらわれ、全体をマクロ的に見る能力を失うことを恐れた。そのため、彼が朱銘にまず求めたのは「捨て去る」ということだった。己の熟練した技巧と、脳のなかに朱川泰の時代に刻み込まれた形式を捨て去り、「形式を捨て、写実から抜け出し、趣を留める」という、「朱銘の風格」を打ち立てることを要求したのである。
楊英風の指導は朱銘に自分を認識・肯定させ、さらに東洋美術の特質と「簡約化されたものの力」を悟らせた。朱銘はかつての職人時代には、本物そっくりで、細かく、光り輝くものが求められていたが、楊英風はちょうどそれとは逆の「細かさは不要で、簡略化したもの」を求めた。彼は荒い大胆な彫刻法から彼の悟りを得た。楊英風はしばしば彼にこう注意を促している。「中国の精神はさらに重要なものだから、決してこれを忘れてはいけない。西洋のものを学んではいけないといっているのではなく、自分のルーツを忘れるな、ということだ」。
現在、朱銘の作品において「中国的要素」がもっとも人の心を打つものとなっている。四年前から北京で展覧を行っている「太極シリーズ」の彫刻ののち、2010年7月19日、朱銘の作品はふたたび北京中国美術館で展覧会が行われ、そのなかには1980年代から現在まで30年あまりの彼の作品が展示され、朱銘の「人間シリーズ」の発展過程が完全に紹介されている。同時に「人間シリーズ————囚」という最新の作品が、今回の展覧会ではじめて発表された。「檻」というテーマイメージは、朱銘が一貫して持つ、ユーモアのある風格を示すもので、彼は見る人の価値観をいたずらっ子のように挑発する。たとえば、だれからも祝福される新婚カップルが、囚われたのと同然に、檻のなかに入れられている……など
「婚姻がお互いの生活の束縛となったとき、夫婦の間には世間の気ままさや優雅さが失われます。夫婦の関係が相互扶助から相互束縛になったときには、意気投合の結果による婚姻も、当然、恋愛の墓場となるのです」と、朱銘は語る。「囚」とは迷いから悟りの転換で、天上も人間界も、そこから足を洗いさえすればすぐに真の人間になれるのです」と、彼は言う。「それを悟り、檻から出ようとすれば、命の束縛からも解脱できるのです」。