中国画報の購読
中国画報社
のほかの刊行物
  • 社会生活
安徽省南部の村とアメリカの大学生との交流
文 王永強 張建平 写真 張建平

 

 

2010年の夏休み、アメリカのボストンにあるノースイースタン大学の22人の学生が安徽省休寧県黄村にやって来て、農家での生活を体験し、徽州文化への理解を深めた。これは始めてのことではなく、以前にもこの大学から何人かの学生がやってきたことがある。安徽省休寧県都の南15キロメートルのところにある黄村は、青い山に囲まれ、純朴な風俗をもつところである。この極めて普通の安徽省南部の村は、もともと山奥にあり、村民はシンプルで静かな生活を過ごしていた。しかし現在、この村はアメリカへ「嫁いで」いった古い民居「蔭堂」によって、海外にその名を知られるようになった。このため、毎年多くの欧米の観光客がこの村に来て、ここの桃源郷のような素朴さと静けさを享受している。どこから来た人であれ、村民のもてなしにはだれもが感動する。

この小さな村の生活が一変したのは、一人のアメリカ女子大生の徽州文化熱のためである。

話は2007年まで遡る。2007521日、休寧県の黄村は1人の「毛色の変わった村民」を迎え入れた。それがアメリカの女子大生ジーナである。ジーナ11歳から黄村に来たいと願っていて、ノースイースタン大学に入学してから二年目にやっとこの願望を果たした。この日に、彼女は「栄誉村民」の称号を受けた。

アメリカに生まれ育ったジーナは、中国にくる以前、中国に対する理解は実は十分なものではなかった。彼女が11歳から黄村に来たいと思っていたのは、一軒の徽州の古い建築へのあこがれのためである。その古い建築こそ、蔭堂である。

堂はもともと安徽省休寧県黄村進士第の側にあり、清代に建てられたもので、300年あまりの歴史がある。黄村の黄という苗字の商人が清代に建てた、四角形の庭を囲んで五間の部屋があるレンガ・木造の民宅建築で、敷地面積は約418.5平方メートル、内部には16のベッドルームがあり、黄氏一族8世代がここに居住していた。1980年代、黄氏の子孫は相次いでここを去っていったが、当時の認定標準では、蔭堂は文化財の列に加わることができなかった。そのため、現代人の長期居住に不適な古い建築として、蔭堂はいかなる保護もされずに、そのまま放置されていた。徽州の古い建築はいずれも木造であるため、梅雨の時期がくると木はかびて変質し、人が住まなくなり、修繕もされないとなると、そのうち倒壊の危険があった。1997年まで、アメリカのピーボディ・エセックス美術館堂を買い入れ、そしてそれをアメリカへ移築し展示することに決定した。それ以前に徽州で倒壊した古い建築は数え切れないほどある。1997年から、アメリカ側は12500万ドルを出資し、蔭堂の木造部品700個、レンガ・瓦8500枚、石製品500枚を取りはずし、40の国際基準のコンテナに詰めて、それをアメリカへ輸送した。その輸送は6年にもわたった。

1   2   >  

Copyright by China Pictorial © 2000-2002 ALL RIGHTS RESERVED
Reproduction in whole or in part without permission is prohibited.

Director E-mail:xubu61@163.com
Add:33 Chegongzhuang Xilu, Haidian District, Beijing 100044, China
Questions, Comments, or Suggestions? Please send to:
cnpictorial@gmail.com